大逆転裁判1&2の今振り返る 逆転裁判4
※各作品のネタバレを含む内容です 注意してください
・大逆転裁判が内包する逆転裁判の要素
既に発売当時から語られている通り、大逆転裁判1、2における物語は『逆転裁判』のシリーズ的要素の数々を内包している。
1では依頼人を救うために「信じる」ことの意味を振り返る、逆転裁判無印を意識させられる構造。
依頼人自身が実は犯人であったことが判明する逆転裁判2の構造。
第一話が最終話等に繋がっていく逆転裁判3の構造。
そして、「法律」を悪用する相手や「法」を変えねば解決できない「犯人」が登場する逆転裁判4の構造。
『時代の闇』に立ち向かう逆転裁判5の構造。
『国』を揺るがす逆転裁判6の構造。
逆転裁判5や6等は当時意識して踏まえられてるかは疑問だが、逆転裁判という作品は自ずとこのテーマと向き合わざるを得ないとも言えるだろう。
そして、大逆転裁判では「科学がまだ世界的に導入される前の世界」であることを利用して、蘇る逆転から導入されたカガク調査等が「陪審員」を説得するための要素として利用される。
新システムである陪審員システムは逆転裁判4における裁判員制度を、レイトン教授VS逆転裁判における要素を踏まえて変化させた形でシステム的に持ち込んだモノと言えるだろう。
また、レイトン教授VS逆転裁判における群衆尋問も大逆転裁判においては採用されている。
システム的にも多くの逆転裁判の集大成的作品と言える。
これらの「大逆転裁判は逆転裁判の集大成的作品である」という前提の上で、逆転裁判が戦う相手が明確にあらわされているのも大逆転裁判と言える。
大逆転裁判の世界ではまだ「序審法廷」の仕組みが存在していない(のかはわからないが作中では言及されていない)、3日以上かかっても裁判自体は続けることができるようだ。
そんな大逆転裁判において向き合う存在として最初に提示されるのは「コゼニー・メグンダル」であり、彼は裁判の「証拠」が最重視される仕組みを利用し、裁判を金の力で歪めた。
このことは成歩堂龍之介の心に弁護士が「信じる」ことへの疑問を抱かせると同時に大英帝国の闇を見せつけるものとなった。
そして2のラスボスの「ハート・ヴォルテックス」、ヴォルテックスは多くの犯罪を自分自身で手を下さず、死神の暗殺などを利用し、そして法によって整備されたロンドンの平和を盾にすることで罪から逃れようとした。
あの世界においてハート・ヴォルテックスという人物を罪に問うことが出来なかった以上、その時にとどめとなったのはより高い権力。そして当時の民意の代表人物であろう「ヴィクトリア女王」であった。
大逆転裁判において向き合った2人の闇が盾にしたもの、それは地位と法である。
そしてこれらと向き合うために大逆転裁判において存在していたのが『民衆』なのだ。
成歩堂たちが法廷で戦う中でその『真実と向き合う意思』を認めるのは大逆転裁判の最終話においても『第三者』だったのである。
それらは「法の絶対性への疑問」と「法律以上に真実を見極めるのは第三者、および『民意』」を提示しているといえる。
逆転裁判が最終的に戦う、戦わねばならない存在。それは『法』となっていくのはシリーズをプレイした人間ならば感じ取る部分ではあるだろう。
そして『法』と向き合うことを明確にテーマにした作品、それこそ「逆転裁判4」なのである。
・今振り返る逆転裁判4
逆転裁判4は今でも賛否両論が出る作品であり、その原因はさまざまなのだが、一つとして「成歩堂龍一の堕落」というのがよく挙げられる。
逆転裁判3で「ゴドーにも認められた、1人前の弁護士」となったはずの成歩堂は、4の物語の中で罠にハメられ、そして証拠品の偽装という汚名とともに弁護士バッジをはく奪されてしまっている。
しかし、そんな成歩堂が逆転裁判4において秘密裏に動き、多くの協力者によって成立させようとしていたもの。
それこそが逆転裁判4というゲームが出た当時にも話題になった『裁判員制度』である。
逆転裁判4におけるラスボスである牙琉霧人は『弁護士』であり、成歩堂を陥れ、そして刑務所に入った後に更なる罪を追求され、「証拠品」だけでは立証しきれない罪を裁判員制度によって裁かれることとなった。
牙琉霧人はそれまでの逆転裁判シリーズではある種の万能能力として示されていた『サイコロック』すらも通用しない存在として提示されており、
逆転裁判におけるある種のアンチテーゼ的キャラクター性を持ち合わせているといえる。
彼の「法」を盾にするという要素は逆転裁判4の前に発売された蘇る逆転における巖徒海慈等にも見られる特徴であり、やはり逆転裁判が向き合っていくにあたって最終的に着地するのは『法』なのであるといえる。
そして逆転裁判4のラストでは演出的に「プレイヤー」に成歩堂龍一が呼びかけ、成歩堂と王泥喜の裁判や調査のデータを追体験し、「裁判員」として牙琉に「有罪」を示すのである。
それはかつて、逆転裁判をやってきたプレイヤーたち、その視点でこそ成歩堂や王泥喜の「真実を追求する姿勢」を肯定できるということであり、つまり逆転裁判4における「絶対的な法へのカウンター」である『良識のある一般市民』とはプレイヤーなのだ。
プレイヤーの良識、今まで逆転裁判をプレイしてきた経験、それまで逆転裁判4でみてきたもの。それが最終的に絶対的とされる『法』を盾にする犯罪者を追い詰める武器となる。
逆転裁判というゲームがあの世界観と向き合う「コタエ」としては非常にまとまった着地点なのではないだろうか。
逆転裁判4は当時、非常に散々な評価を受けた作品である。しかし、だからこそ大逆転裁判において明確に示された真実を追求する姿勢とその肯定を踏まえることで再評価が「しやすくなった」と自分は考えている。
ゲーム自体のあれこれとは別に、逆転裁判という作品が最終的に辿り着いてしまう場所はやはり逆転裁判4が現状は最も「近い」のではないだろうか。
・逆転裁判が避けられないロジック
逆転裁判の世界はそもそも、「犯罪が多すぎて3日で裁判を終わらせないといけない」というとんでもない世界観が前提となっている。
そしてこれらによって多くの悲劇が産まれていることは作中でも明確に提示されている要素である。
それらを踏まえて逆転裁判5、6では虚偽の証拠品や信頼の落ちた時代が描かれつつ、それらと向き合う新世代も描かれている。
逆転裁判の世界はどう頑張っても、「物語が続く」限りはこれらの歪みとは向き合わざるを得ない。
そういった意味で、大逆転裁判は時代を戻し、逆転裁判の前の時代から「向き合うべき存在」が共通していることを示す作品ともいえるだろう。
再びそういった路線に戻るのは難しいだろうし、今後逆転裁判が如何なる方向性に向かうかはわからないが、プレイヤーとして大逆転裁判をプレイした後だからこそ、また別の角度で逆転裁判をプレイしなおすのもおすすめしたい。
ウルトラマントリガー 4話を見た感想
ケンゴ…あなたは…光であり…(恒例)
というわけでトリガー4話の感想を引き続き書いていきたいと思います。
今回のあらすじ
超古代文明の遺跡が発掘されたので、その調査に赴くガッツセレクトのメンバー。
そこにイグニスが現れ、発掘された出土品を盗んでいってしまう。しかしそれがきっかけで怪獣オカグビラが呼び覚まされてしまうのだった。
今回の大まかな感想
個人的にはやっぱイグニスが結構好きだな…ってなった。
まぁやってることはクソ迷惑なんだけど、立ち回りがさせやすいキャラっていうのは見てて結構楽しいところがある。
あと今回、ケンゴが怪獣を請け負ってアキトに他の仕事を任せる… みたいなちょっとバディ感が板についてきているところも結構好きだなと思う。
アキトとケンゴの関係性が色々な形で提示されるだけでドラマとしては筋が出るんで(アキトは特に個人的に良いキャラしているので)
アキトのそういう技術者的な面でのサポートシーンなどがもっと絡んでくるともっと好き度があがるかもしれないですね。
今週のいいところとして、今回のメイン怪獣であるオカグビラがまぁまぁ色々見せてくれているところ。
ただオカビラの良さを戦闘で魅せるのはいいのだけど、怪獣としての特性を踏まえた作戦とかが行われるともっといいな…とはなる(アキトが発信機で誘導したりはしていたのだけど、ガッツファルコンみたいなのが存在するなら、そこらへんを利用した作戦があってもいいよなという)
まあ今回はオカグビラが急に出てきたのもあって、対応が間に合わなかったという感じではあるが。
割と個人的に今週は満足したほうかもなんだけど、え!?必殺技はハサミ(ハサミ?)を頭に殴りつけて終わり!?
って思ってしまった。グビラといえば角を折るとか… というか必殺技そんな感じなの!?(なんかないんか!?こう…技としての演出が…って思ったけどまぁ まぁね?)
そして闇の凸凹トリオは海の中で今日も楽しそうにしていた。君らは海の中が好きなんだね…。
次回は… え!?総集編!??????????大丈夫!?
デバンが紹介してくれるみたいだけど、本編ではデバンは絡まないのかな?
まぁ今後も感想を続けていけたらいいですね。
今週のギャラクシーレスキューフォース
と トレギア…
今週はヒカリ過労死の話題。悪用する人も出てくる…じゃなくて悪用されまくる未来がまっているから困りますね。
トレギアがうまくいってればヒカリ過労死問題も良い方向に転がっていたのかなって思うけど、なんかトレギアが開発に回った結果悪用される現実と直面したらトレギアが結局なんか面倒なメンタリティを発動していたのではないかみたいな気もしますね。
トレギアの話になると口が回る。
スーパーヒーロー戦記を見ました ネタバレあり感想
スーパーヒーロー戦記見たので感想です。タイトルにもある通りネタバレありで書いていくので注意してください。
大体のあらすじ
新たなる小説のネタに悩む仮面ライダーセイバーこと神山飛羽真。そんな飛羽真たちの前に「ファンタジック本屋かみやま」には仕入れた覚えのない本、「機界戦隊ゼンカイジャー」が現れる。
本を読み始めた飛羽真たちは突如本から放たれる光に包まれ、気が付くと知らぬ場所に飛ばされていた。
そこはなんと読んでいた本である「機界戦隊ゼンカイジャー」の世界だった。
そして時を同じくして、機界戦隊ゼンカイジャーの主人公である五色田介斗たちもまた、別の世界、「仮面ライダーセイバー」の世界に飛ばされていたのだった。
それぞれの物語が交わり、スーパーヒーロー戦記の物語が幕を開ける。
1年開けて久しぶりに見る『祭り』の空気
春映画が超スーパーヒーロー大戦で(一応)終わりを迎え、そしてコロナ禍の結果拝むことが出来なかった東映ヒーローのお祭りが夏に帰ってきた作品である「スーパーヒーロー戦記」
久しぶりに見てコレコレ~!!!!!!!!という盛り上がりと同時に「めちゃくちゃ疲れた」という感覚がどっとくる良い作品だったと思う。
まず(こういう評価はどうかと思うけど)想像以上に丁寧だなーと前半は感じた。前半は。
ジュランと飛羽真たちの絡みも見てて楽しかったし、またこういうお祭り的状況に全然慣れてない倫太郎と介斗の絡みも個人的には良かったなと思う。もっともっと見ていたいくらいだった。(カーレンジャーの世界に飛ばされたケントもどうなってるか見たかったな…)
見てる最中はキラメイブルーである時雨やシンケングリーンである谷千明、他にも出来る限りオリジナルキャスト(というか声優だけど)を揃えている上に結構キャラの置き方も楽しくてテンションが上がった。
まぁ自分の中の「最低限」がもはや超スーパーヒーロー大戦の北岡というマイナスに振り切れまくってる存在なので、この程度でも喜べちゃうというのはちょっと問題があるのかもしれないけどまぁ…いいでしょ…。
あと西遊記パートで三蔵一行に使命を与える仏様役として登場するオーマジオウとか、なんかホンワカしたしめちゃくちゃ面白かった。
オーマジオウ、またこんな感じで雑に仕事を選ばずに登場してほしいね…。むしろ電王組との絡みすら見たい。ソウゴも好き勝手出てきてほしくなる。なんだかんだ無双するグランドジオウはカッコイイなぁー!ってなった。
電王組はもうめちゃくちゃ相変わらず。プリティー電王から引き続き存在感の衰えなさを見せてくれた。春に彩りを与えてくれる恒例キャラ。(春じゃないけど)
あとゼロワンもクロスオーバーで登場して戦隊とかとも絡むのがマジでうれしかった。ゼロワンはそういう作品にコロナ禍の憂き目で恵まれなかったので、セイバーと一緒に戦ってる絵面だけでも個人的には感無量である。
ただ今作はメインシナリオにおいて重要なキャラとしてセイバーの主人公である神山飛羽真が配置されていたので、思ったよりクロスオーバー部分は少なめだったかも…とか後から思っちゃうのは後半の『スーパー春』な絵面とかリバイスのせいかもしれない。
でもテレビの方である程度そこはカバーしてくれてるという感じだしまぁ求めすぎるほどではないですね。
春の絵面
物語の神である石ノ森章太郎少年(敬称略)を利用し、ヒーローたちの存在を消そうとしていたアスモデウス。
それに対して、新たな「スーパーヒーロー戦記」の物語を書くことによってヒーローたちを復活させた神山飛羽真と石ノ森章太郎少年によってアスモデウスとの最終決戦が始まる。
もう後半の絵面は『完全に春』。
採石場。1号やアカレンジャーから生えてきて大量に揃うヒーローたち。ダバダバ走っていく絵面。
見てて頭が疲れてくる。しかしこの程度で疲れているとこの後が更に疲れる。
ダバダバとそこら中で戦うヒーローたちの上に今回はタイトルロゴが表示され、ヒーローたちをわかりやすく提示してくれるのだ。ゲームの自機表示かよ?とか思わされる絵面でクラクラする。
更にヒーローたちが各々の作品を代表するセリフをベラベラ喋る。 …が、めっちゃSEや爆音やBGMや絵面のせいで全然集中できない。チョイスがめちゃくちゃ雑なので全然状況にあってないことをしゃべりまくる。まぁこの程度は戦隊ライダー見てきた人なら慣れてますよね!(いいのかなぁそれで)
あと代役なので(しょうがないけど)全然似てねえ!!!!!!みたいになるあたりもお祭りの御愛嬌である。
ラストの戦闘はさながら爆音のパチンコ屋の演出を大音量で聞かされてるみたいな感じですごかった。なんか久しぶりに映画を見たせいもあってか、こんなに映画見て疲れたのも久しぶりという感じである。
まさに映画館でこそ味わえる体験。家でお祭り系を見ててはこうはならないだろう。皆さんもぜひ映画館で。(なんか8月からコメンタリー聴きながら映画見れるらしいですし。)
今作品のテーマについて
今作で敵であるアスモデウスによって呼び出された石ノ森章太郎少年は、実際にヒーローたちをその目で見せられて、ヒーローを描くことの意義に悩み、そして創作意欲を最終的に見失ってしまう。
同じく「自身が創作をするということは、作中のキャラクターたちを苦しめることになる」という矛盾に悩んでいた飛羽真は、章太郎少年に「君が描くヒーローは正義の側面も悪の側面も持ち合わせる存在であり、人間を描こうとしているのだ」と語る。
悩み、苦しみ、自身の物語に自分自身で結末を選び抜こうとする姿、それこそがヒーローという『人間』の姿なのだ。
この部分は仮面ライダーセイバーにおいても一貫しているテーマといえる。仮面ライダーセイバーは作中で何度も何度もやってる通り、自身の運命を自分自身が決めて新たな未来に進むことが1つのテーマだ。
セイバーが始まった頃からこのへんのテーマとはかみ合わせがいいよなぁとは思っていたが、そこを気持ちよく映画として提示してくれたのは結構個人的にうれしかったなと思う。
そして作中では更に踏み込んでアスモデウスが「お前たちは所詮二次創作であり、テーマの焼き直しをしているに過ぎない。オワコンなのだ!」と叫んでくる。
公式のこういう作品でオワコンって言葉初めて聞いた…みたいになってめちゃくちゃ面白かったが、それに対して「キャラクターや物語が作者の手を離れ、時代を超えて愛されるということ」についても踏み込みアスモデウスの言葉を否定する章太郎少年。
幼稚で無意味なものであれば、ここまで続いてるわけがない!と叫ぶのはちょっとこの戦隊やライダーのシリーズが出してくるやつとしては説得力がありすぎてずるいな~!とすらなる。
同時にこの作品自体も、ある意味かつての春映画のテーマの焼き直し的にも捉えらると感じるが、同時にだからこそ次の世代に新たな形でそういったテーマを伝える役割でもあるのかなぁと思えた。
その瞬間瞬間の物語の力を肯定し、その世代に送り出すのはきっとその瞬間瞬間を生きるコンテンツなのだろうと思う。
そういう意味で戦隊の歴史を肯定するゼンカイジャーと物語の力を肯定し、自分たちの運命を自身で決めていくことをテーマにするセイバーが同じ時代に今出会えた仲間なのは面白いめぐりあわせだったと言えるかもしれない。
あとこんなめちゃくちゃデカイ大役を任された鈴木福君お疲れ様でした。
仮面ライダーリバイス
さて映画が終わったのでトイレに行こう!と思ったらアスモデウスにとどめを刺すために現れた新ライダーリバイスが映画終了後に特別編が始まってびっくりした。
トイレに行きたいんじゃが…… という思いとは裏腹に思ったより長い。
まず印象的だったところだとスタンプのギミック。スタンプって今は割とありふれた概念ではあるが、LINEとかの絵を張るやつも「スタンプ」だったりと思ったより色々あるもんだなぁとか思ったりした。
特別編だと助けたおっさんが悪魔にそそのかされてスタンプで別の悪魔と契約して敵となるという流れだったが、本編もこんな感じで進むとしたらどっかの怪物ばっかり出て事件が起こる治安の悪い街みたいになりそうだね… とか思ったりした。
後相棒キャラであるバイスはどうやら視聴者に対して語り掛けるような動きが多いようだ。そういった要素が本編で活かされるのかはわからないが、どう転がしていくか特徴的な部分となるだろう。
よしリバイス終わったしトイレ……って思ったらそのあともリバイスがなんか出てきたので俺の中でリバイスがトイレを邪魔するやつみたいになりかけていた。
9月にまた会おうぜ!
ところでセイバーとゼンカイについてはもう個別映画はやらないのか、それともゼロワンとかみたいに後でやるのですかね。なんだかんだがんばってコンテンツ全体を盛り上げてる現状がすごく楽しいので、今後もニチアサコンテンツには期待してます。
ウルトラマントリガー 3話を見た感想
ウルトラマントリガー3話の感想です。今回はスカイタイプとヒュドラムがメインですね。
・あらすじ
学校へ向かうアキトとユナに付き添うケンゴ、そこにユナを狙った宇宙人のイグニスが現れる。
イグニスを警戒するアキトとケンゴだが、そんなところに新たな闇の巨人ヒュドラムが現れ、ヒュドラムにユナは攫われてしまうのだった。
・主な感想
そういえばこの世界、異星人とは既に交流あるんだったね…っていうのに定期的に思い出すところがある。
特段宇宙人であることに驚かれてないイグニスとかを見てると闇の巨人と宇宙人側に関係性があるってのはほんとに新鮮というかまぁ少なくとも今までは全くなかった要素と言える。
今回の見どころとしてはガッツファルコンのシーンだ。中々にかっこいい。
ユザレとしての運命を受け止められるか危惧され、その身にユザレを宿していることを知らされていないユナ。 絶対隠し通すの無理だろ!みたいな感じではある。
今週、割と個人的にはイグニスが面白いキャラだなと思った。先述の通りイグニスとヒュドラムの方に関係性があるというのは闇の巨人という要素としては個人的に面白く感じる。
ヒュドラムは100年先に起きていたということで、その間に宇宙で遊んでイグニスにも迷惑をかけたのだろうか。そう思うとこのトリガーの宇宙はあんまりウルトラマンがまだ活動しに来ていないのだろうか?
ヒュドラムがそんなに暴れまわっていればニュージェネ世界だとまあまあ警戒されてそう… と過去作を通ったあとだと感じるところがある。
まぁ今後なんかしらわかるかもしれない。
大方の予想通りまぁガゾートはこんなもんだったな!って感じであった。 ていうかガゾートが脈絡もなく友達って言いだすの、雑ゥ!
ガゾートはクリッターという生物の集合体であり、クリッターは共食いの性質を持っており、そもそもガゾートにならなくても雲に入り込んだ飛行機を、中の人間と一緒にまとめて食ってしまうような人間にとっては危険な生物である。
ティガ本編では人類の文明の発達の結果、電磁波やマイクロ波の影響を受けて狂暴化したことで後半になってもその被害が報告され、最終的には人類によるクリッター殲滅作戦が行われたりして、色々あって地球を去っていった。(詳しくはティガ本編を見よう)
今回は恐らく、ヒュドラムによって使役された存在だからそういった側面は少なめだったのだろう。
めっちゃ脈絡もなくアキトが「本当のスピードを見せてやれ!」って言いだして、いやガゾートといえばスカイタイプって知らん人もいるだろ!みたいに心の中ではツッコんでいた。
ランバルト光弾はかなりランバルト光弾でしたね。ランバルト光弾って結構普通に撃破技として使われてることが多いのだけど、倒しきれないとすっげえ普通の技みてえに見えるね!(失礼)
ガゾートとしての性質が本編であまり出されなかったのはやはり残念であるが、もうここはしゃーないということで妥協すべきか。
むしろヒュドラムとの戦闘よりガゾートの戦闘メインで今週は構成されていて、だいぶ優遇されていたと思った方がいいかもしれない。
今回ガッツファルコンの戦闘は本当に良かったと思いつつ、ニュ ニュージェネの悪いところ~!って感じの演出も相変わらずいっぱいいっぱいだった。
来週もイグニスがなんか絡むということで、イグニスのキャラがどっかの戦隊ヒーローのキャラと被ってる気がしなくもないけどあんま気にしない方がいいですね!
割とほんとにイグニスは好きそうなキャラなので活躍が楽しみです。そういえば宇宙人形態がまだ出てないけど今後出るのかなぁ。
エタニティコアはなんなんだろうね。たぶんこの感じだと近いうちにわかるでしょう!(雑)
・今週のギャラクシーレスキューフォース
今週はアンドロメロスだ。なんか並ぶとメロスの方がリブットより身長低いんだ…みたいにもなる。
めっちゃ真面目な回でしたね(感想に困る)
今週の感想、GRF含めて薄い… 薄くない? でもまぁかなり戦闘で色々見せることに寄ってる回だったししょうがないね。そういう日もあるということで…。
ウルトラマントリガー 2話を見た感想
トリガー2話の感想です。割とこういうの続かないタイプなんで適度に続けていきたいですね。
今週はなんかZで少なかった懐かしい怪しさが1話以上に帰ってきた感ありますね!(言い方)
今週の大体のあらすじ
ウルトラマントリガーとしての能力を得たケンゴはシズマ会長の勧めからガッツセレクトへの入隊が決まる。
ガッツセレクトに入隊したケンゴはセレクトの隊員たちを紹介される。そんな折に怪獣ギマイラが現れ、ケンゴは初めてセレクトの隊員として出動する。
トリガーの特徴とヒジリ・アキトの存在
2話で気になるポイントというとトリガーという作品はとにかく「ケンゴがウルトラマントリガーである」と知っている人物が最初からいるという特徴が際立って出てることだった。
ヒジリ・アキトはセレクトの研究員的立ち位置と隊員の立ち位置を両面的に持つと同時に、ウルトラマントリガーの変身アイテムを作ったり石板を解析してトリガーを強化するアイテムを作ったりしている。
そして彼は「ウルトラマントリガーになりたかった」人物でもあるようだ。こういう部分はなんだかティガ本編でいうと人工的にウルトラマンとなることで、自身の理想とする『ウルトラマン』を作り出そうとして失敗したマサキ・ケイゴのような側面を持ち合わせてるようにも感じられる。
しかしアキトは2話でケンゴの意思を多少認めて、ウルトラマントリガーのパワータイプキーと助言をケンゴに与えた。マサキ・ケイゴのような人物にはならないとは思うので安心。(そもそもマサキ・ケイゴみたいな人間はそんなにいっぱい出てきたら困るよね)
アキトがケンゴをトリガーだと知ってサポートする立場であったりと、こんな序盤から隊員側に主人公がウルトラマンであると知ってて動く人間がいるのは非常に不思議な感覚があるが、個人的にはかなりアキトのキャラが2話で良いなと思った部分だったので、このへんをどう転がしていくかは気になるところとなった。
しかし前の感想で結構この世界の科学技術について考えていたりしたけど、よくよく考えればメトロン星人みたいな異星人と交流がある世界なら科学技術の発展もクソもない気もしてきた。
逆に言えばそれでもトリガーや闇の巨人たちは神秘的存在なのだな…というニュージェネ世界での『ティガ系の存在』の扱いを感じるところである。
なつかしいあやしさ
ウルトラマンZをあんまり上げすぎるような話になるのも好きではないところではあるのだが、やっぱりニュージェネで今まで見てきた怪しさが復活している!と感動(?)する感じがある1話だったと思う。
まず構成として気になったポイントとして隊長がめちゃくちゃ「筋トレはすべてを解決する!」とか言いまくってパワーについて説明しつつ、特段そのへんはストーリーに絡んでこないまま「パワータイプ」の文脈に繋がっていくところだ。
今回の見せ場はパワータイプだからって乱雑じゃない!?って笑顔で見てしまった。
それからギマイラのものすごい乱雑な扱い、まぁ前哨戦だから…って感じではあるが、ニュージェネであるあるな「ライバルキャラとの戦いを控えているので怪獣の扱いがおざなりになる現象」で慣れ親しんだ感覚を思い出せる。
ギマイラといえば割と色々な能力を持っているうえにかなり知的な側面も持つ怪獣であり、80もかなり苦戦した怪獣として有名だ。
今回は「宇宙からきた外来種の怪獣」としてお出しされたのでまぁその程度のギマイラ(どの程度のギマイラ?)なのだろうけど、もうちょっとギマイラの良さが出てるとうれしかったなーという気持ちはやっぱり隠せない。
それから今回のメイン敵としてのダーゴンさん、特に今週は「トリガーと戦いたい人」以上に印象がなかった感じではあった。
でも元ネタのダーラムもなんかそういうノリだったし(そうかな…)、そしてダーラムといえばそう…水中戦ですよねとばかりにお出しされた水中戦があったりしてリスペクトはいかんなく発揮されてましたね。
なんかめっちゃ急にすっげえ深い水中に入ったな…みたいな感じもあったけど。
水中戦での演出とかはだいぶ満足度があった。なんかこの「戦闘でここがよかったな!」って話をする感じも懐かしいですね。
ただせっかくのデラシウム光流が「当たるシーン」がないのはえぇ!?と思ってしまった。デラシウム光流が当たってビリビリみたいなエフェクトが出るところが見たかったの!
まぁ今週は実際4割アキト、5割戦闘、0.5ギマイラみたいな感じだったので、そういう回ということで受け止めたい。
あとやっぱパワータイプのハサミ武器、なんかエグいし使いにくそうで面白かった。絶対これを企画したやつは殺陣での使い方考えてない気がする!
あと気になったポイントだとガッツファルコンがギマイラの一回ですぐ燃料切れになって出撃できなかったところである。
ガッツファルコン1機で大丈夫なの?って見る前から思ってはいたので、実際のところやっぱキツイっぽいという感じである。
まぁでもナースオデッセイ号が今後は飛ぶしそのへんでカバーしていくということなのだろうか。
ところでナースオデッセイ号がめちゃくちゃ市内を低空飛行してるのはちょっと面白かった。
ビルの窓とかが割れそうで怖いぜ。
来週はスカイタイプが登場、さっそくガッツファルコンといっしょに飛ぶ姿を見せている。まぁスカイタイプといえばみたいなところもあるしね。
個人的にトリガーのスカイタイプは武器が弓なのもかっこいいので、そのへんが映像でどう扱われるか気になるところ。
ガゾートはたぶん…そんな良い活躍はしないやろ…(ひどい予想)
予想が外れたら笑ってやってください!
今週のギャラクシーレスキューフォース
今週はリブットとソラのイチャつきだった。
特段本編となんかリンクしてる話をするってわけでもないんですね…でも相変わらず喋らないトリガーの代わりにベラベラ喋ってくれましたね。
ところで円谷youtube公式を眺めてるとグリッドマンでパパが死刑になってて和んだ。えっ!パパが死刑?ってタイトル、グリッドマンでもかなり好きなタイトルの1つである。
内容もだいぶ面白いしこれが最終話直前なのも面白いのでおすすめです。
竜とそばかすの姫見た
竜とそばかすの姫を見てきたんで感想です。
パンフレットとかインタビュー一切読んだりしてないので、そういうところで作り手の発言との差異等があるかもですが、そこらへんをご承知いただければ幸いです。
また、ストーリー部分にはまあまあ触れるので、まだ見てない人やネタバレが気になる人は気を付けてください。
大体のあらすじ
主人公の鈴は田舎で育った普通の女子高生だが、幼い頃に母親を亡くしたショックで人前で歌うことができなくなってしまった。
しかし仮想世界「U」に出会い、そこで自分のアバターである「ベル」になることで、現実では歌えなかった歌を歌えるようになれた。だが、鈴の想定以上にベルは大人気になり、仮想世界での知名度が高まっていく。
そんなところにUで悪質なバトルを行うということで、Uの秩序を乱すとして嫌われる「リュウ」と出会い、鈴は何らかのシンパシーを感じリュウに惹かれていく…。
他者と繋がることの可能性の話
まずこの作品のメインとなる鈴は、母親が自分以外の子供を助けるために川に飛び込んだ結果、その子供は助かったが母親を失ったトラウマを持つ。
鈴はこれのせいで、1人自分を置いて行った母親の愛情に疑問を持ち、しかし子供のころの記憶で確かに母親の愛情を感じていた鈴は両面的に苦しむ呪いを背負っている。
要するにこの呪いが作中における「リュウ」とのシンパシーとなり、仮想世界で見も知らない相手との関係性のきっかけとなる。
リュウの正体は母親を亡くし、父親に虐待される兄弟の兄であった。
リュウもまた、呪いを背負っていると同時に、鈴以上に過酷な現状に晒されながら、弟のためにUでの「リュウ」としての姿を見せるために戦っていた。
鈴はリュウの事情を知り、リュウを救いたいと思った時に、母親が何故死の危険を顧みず自分を置いて見も知らぬ子供を助けにいったのか。それを理解するのである。
鈴はリュウの元に辿り着き、リュウと弟を守るために虐待を行う二人の父親の前に立ち、父親を退ける。
そしてリュウは鈴(ベル)と出会い、勇気を貰い、そして自分自身も目の前の現実に立ち向かっていくことを鈴に告げる。
仮にUという仮想空間がなければ、この二人は出会うことがなかっただろうし、そして映画のような結末に辿り着くこともなかったと思う。
不特定多数の人間が繋がることができるインターネットでの美談等は大体無下にあしらわれたり、冷笑的な態度をとられることが多く、自分もそういった態度の方が多い。
実際にこの映画もインターネットのそういった悪性や冷笑的部分も描いており、ジャスティスというUの世界を自治し、自分たちの意にそぐわないものを「アンベイル(実名晒しみたいなやつ)」することにより排除しようという者等も描いている。
しかし少なくとも「竜とそばかすの姫」はそういった「本来出会うことがないかもしれない相手同士」が繋がれる可能性や、誰かが誰かと出会いその思いや善意に影響されたり行動に移ることなどの、インターネットにおける不特定多数の繋がりの可能性の側面を肯定的に描いている。
この映画自体、そういったものを冷笑的に見る態度へのカウンター的というか、「どんな形であろうとなんらかの影響を与え、そして誰もが何らかの形で行動に移すこと自体は無意味ではない」と語ってくれている映画なんじゃないかと思う。
自分自身そういった善意の全肯定みたいなものをそこまで肯定的には捉えられない人間なのだが、フィクションとして、また作品としてそう描いた一貫性を個人的には好意的かつ肯定的に捉えたいと思った。
仮想世界「U」は「誰もが新しい自分になれる、さあ始めよう、そして世界を変えよう(ほぼうろ覚え)」みたいなことを冒頭とラストで語っており、
文字通り鈴はベルという自分を経て新しい自分となり、リュウという他者の世界を変えた。今はもう「泣き虫の元の鈴」ではないし、リュウと弟も『1人』ではない。
同じように、この作品自体がこれを見た人間にとっての「U」となり得るのかもなと。
どんな形であろうと、それが否定的であろうと好意的に受け取られたのであろうと映画、アニメ、音楽、文章、そういったメディアや他者との関りは誰かの世界を変え得るものなのだろうと。
映画の構成的な話
仮想世界(異世界)と現実世界の並走とリンクは今までの細田作品でも描かれてきたものだが、竜とそばかすの姫は作劇として仮想世界をおとぎ話風に描いたのは個人的には新鮮だった。
竜とそばかすの姫における仮想世界ターンはまるで歌劇や演劇かのような言い回しで物語が進み、元ネタであろう美女と野獣がごとく妖精(AI)が出てきたりする。
それに対して、現実世界ターンは女子高生の素朴な悩みや学校内での女子高生ネットワークによる恋愛絡みの面倒くさいSNS炎上やら、何か親近感があるリアリティを持たせつつ描かれる。
しかしこの両方は完全に別々の世界の話ではなく、鈴にとっては密接につながった世界であり、だからこそこのギャップが逆に光っていると思うみたいな…(ふわふわした発言)
またそれを交互に見せつつ、最終的には二つの世界が交差するのだが、その結果として描かれるのはあくまで「個人と個人が出会う」ことなのである。
『世界が大きく変わった』以上に、だれか他者の世界を変えたこと、そして変わったことに物語が収束するのが個人的に非常に気持ちが良い。
しっかりと最初のUの売り文句に物語が戻ってくる。ちゃんと物語が言いたいところに帰ってくるのがロジカル的に『ちゃんとしている』な~!という形でまあまあ飲み込みやすめの構成ではあったなと思っている。
映像方面の話
まずちょいちょい「うわー良いなー」と思う画が先の予告とかであったりして、ツイッターとかでも話題になったりしていたのだけど、個人的に見る前は「U」の描写をそこまで好き!とは思っていなかった。
まぁウォーゲームやらサマーウォーズやらとかでも既にこういうの見たし、個人的にはバケモノの子とかおおかみこどもの方が色合いの使い方は好きだな… みたいな。
あとキャラデザとかも「ディズニーかな?」とか思っていたら作品がかなり美女と野獣で、明らかにまんまなシーンも入ってくるので「ディズニーじゃねえか!」みたいになって最初はそこまで好きじゃなかったなという。
でもそのうえで、この映画自体の良さとして好きになったポイントとして、「仮想世界の美しさ」と「現実の美しさ」のコントラストがある。仮想世界と現実、セットだからこその『良さ』だ。
竜とそばかすの姫の仮想世界はほんとにゲームのコンセプトアートみたいな美しさで、公式ホームページでは「美しくも残酷な仮想世界」とか書かれているのだけど、多少わざとらしい無機質さを感じるところがあるのに対比して、現実世界の田舎的な風景の数々、蒸し暑そうな空気感や、川辺の情景、ショボい駅、積乱雲、そういったものが本当に妙に気持ちよく印象に残った。
こういうのはやっぱり細田守監督の十八番というべきか、何気ない日常での日本の風景が仮想世界の目が痛い程の美しさと交互に出されることでより特別なモノとなっているように感じられた。
それはアバターにも言えて、とにかく鈴の作中アバターである「ベル」は煌びやかすぎて目が痛いくらいのデザインで、ディズニーキャラのようなデザインはちょっと個人的にバタ臭いくらいの気持ちが出ちゃうところなのだが、鈴とベルが同じキャラクターであり、そして同じ声で喋り歌うだけでギャップの良さが出る。
こんなのは当然ではあるくらいのベタさだが、細田守作品の「女子高生」の描き方がディズニーキャラ的デザインのベルと本当に『比』がすごくて、ここは細田作品の良さが仮想世界との差異ですごく良い感じに出た部分だと思う。
同じく仮想世界(電脳世界?)を要素として使ったぼくらのウォーゲームやサマーウォーズにはなかったアプローチだったので良かったと思う。
それから、クライマックス近くで鈴が自分のアバターを脱ぎ、自ら自身の姿で歌うシーンは鈴というただの女子高生が明らかにそぐわない仮想世界で一人立ち、歌うというのをめちゃくちゃ良いライティングで映像に仕上げていて、「これこれ~!!!!!!」ってめちゃくちゃアガった。
まさに仮想世界と現実世界が交わる瞬間を最高の画で仕上げてお出ししている。
細田守監督作品のそういうところが好きなんだよ!というのが今回も見れたので映画館で見てよかった… って思う。
仮想世界モノとしての竜とそばかすの姫の話
仮想世界といえば最近「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」が仮想世界作品の近年の第一人者的作品(?)な「ソードアートオンライン」の再放送と並んでTOKYOMXで放送されて一部で話題となったが、
なんと竜とそばかすの姫、SAOの世界式アバターシステム(アバターが自動生成されて自分では好きに作れないタイプのシステム)だったので驚いた。
今時の仮想世界ネタで…アバターを自分で作れない!?(結構そういう作品はある)
また、竜とそばかすの姫はなんとマウントディスプレイ型でもゲーミングチェア型ではなく、耳にイヤホンみたいなのをつけて仮想世界にダイブするようなのであった。(オーグマーが一番近いのかな?)
なんかあんなちっちゃいので体とかの特徴の読み取りや視覚とかもそれだけで仮想世界にアレコレできるみたいですごい。
なんか見ている限りだとあの世界には茅場晶彦のような根源的破滅技術特異点は存在しないっぽいので安心である。そうであってほしい。
というか鈴は集合写真から自分のキャラを作っているっぽいのだが、割と体を直接モーフィングする割にはそこは雑なんすね…みたいな感じもあった。
もしかしたらそういう感じで実質的に好みの形にキャラメイクしてる人もいるのかもしれない。キャンセルもできるみたいだし。
仮想世界のマウントディスプレイやらそういうデバイスを見たらまず「脳を焼き切られるのではないか」とか「記憶を盗られるのではないか」とか「フラクトライトを加速させたりするのではないか」と心配にさせるという形で自分にとってのVRモノの価値観を変えたSAOはやはり偉大だねキリトくん。
あとどうでもいいけど途中で出てきたオメガモン風の女の人のアバターとかヒロちゃんのアバターは結構エッチだなって思った。
面倒くさいまとめ
正直この映画はメッセージ性がまあまあ強く、そしてそれなりに「ストレス」を視聴者にかけてくるタイプの作品なので、見てる人によっては「なんだよ…全然楽しくないぜ…こんなゲーム…」「俺はもうログアウトする…」みたいになってもおかしくない気はするし、そしてそれをある程度わかっててやってる作品でもあると思う。
更に言うと面倒くさいタイプの人らに何かを言われたりだとか、問題視される可能性もあるところにちょっと足を突っ込んでいて、そこのシーンとかはかなり「視聴者側を見てる」気がして、わきが甘めながらもまあまあバランスをとって出されてる作品のはず…!と思います。(児童相談所関連批判みたいなシーンが前々作品やらとかを経てまた入ってくるのは強い意志を感じられる)
ウルトラマントリガー 1話を見た感想
ティガの後続としてついに始まったトリガー、1話の感想
ティガ本編についてめちゃくちゃ触れているので、ティガ本編をまだ見てなくて気にしている方等は注意してください。
・光であり…?
まずはティガ本編のオマージュ的セリフである「光であり…」である。ティガ本編ではマドカダイゴが「光であり人であるダイゴよ」と古代人ユザレから定期的に語り掛けられ、ダイゴが「人」としてティガの力を使っていく物語のテーマ的なワードにもなっている。
トリガーでも語り掛けてくる存在の名前は「ユザレ」のようだ。1話の感じだと、「光であり…」と後続のワードがボカされており、元々のセリフとは違ったセリフだと予感させる。
ティガはテレビ本編ではまだ「かつては闇の巨人」という側面を持っていないため、ユザレからそういった部分が語られることはなかった。(その辺は後の劇場版ウルトラマンティガTHE FINAL ODYSSEYで追加された部分である。)
トリガーは序盤から闇の側面を感じさせるような演出がなされており、そういった部分が後に関わってくるのかもしれない。
・トリガー世界の科学力
トリガーの世界観において、火星にとって地球の怪獣災害は遠い場所での出来事のように捉えられているようだ。
そしてこの世界の人類はかなり科学技術的に発展している。
ティガ本編ではまだ火星の開拓までは至っておらず、大幅な宇宙進出や開拓に至るまでには作中で登場する「マキシマエンジン」もとい「マキシマオーバードライブ」が確立されたからこそという背景が存在する。
ダイナにおいてネオフロンティア時代を迎えたティガの世界観の象徴の1つとして、火星でのダイゴの姿が映されるのだ。
つまり、トリガーの世界観は既にティガやダイナにおけるネオフロンティア時代に届くレベルの科学力を実質的に保有しているといえるだろう。
火星のドームも本編ではゴルバーに破壊されたドームの緊急修復を行うシーンがあり、そういった技術がしっかり確立されているようである。(まぁ下に穴を開けて侵入できるのはどうなんだろうねって思うっちゃおもうけど)
今後の描写次第ではあるが、トリガーの世界観においてもマキシマエンジンを想起させるものが存在しているのか気になるところである。
・トリガー1話の戦闘演出について
トリガー1話で少し関心したのは1話の戦闘においてインナースペースやニュージェネシリーズの特色としての「喋るウルトラマン」としての側面が少なめだったことである。必殺技名も言わないし、武器の名前とかも全然言わない。
もしかしたら1話だけの演出の可能性もあるが、ニュージェネ以降のシリーズにおいてはこれだけでウルトラマンとしては非常に特徴的になるのは逆に面白く映るポイントだ。
カーミラのそっくりさんカルミラがめちゃくちゃ一方的にしゃべる分、そこが1話は際立って見えた。
1話においてゴルバーとカルミラの2体に挟まれてピンチに陥るのはティガのゴルザとメルバに挟まれて戦うことを意識したオマージュだろうか。
とにかく戦闘の満足度はすごかった。ピンチで泥だらけになるところからの一転攻勢における泥が流れ落ちたトリガーや、人形爆破等テンション上がる~って感じである。
そういえばゴルバーさんはなんか全然ゴルザとメルバが合体したってところを活かせてる感なかったような感じもある。
2対1だったし、そこまで出張らずにカルミラさんに大事なシーンは譲ったのかもしれない。
ゴルバーⅡとかがいたら頑張ってほしいところ。
・仕組まれている?ケンゴの存在
シズマ会長はかつてのティガの存在を語り、またメルバとゴルザの存在まで知っているような描写がある。
また見ず知らずのケンゴに対し、トリガーの変身アイテムであるスパークレンスを渡すのも何かを知っている故の行動のようだ。
遺跡ではケンゴの手が光るし(手だけ光るのか…って面白かったけど)
ケンゴの母親は何かを知っているかのような描写もあり、恐らくケンゴは何か、最初からトリガーと関係があるということなのだろう。
逆にみんな色々知っているっぽいけどカルミラさんはあんまりそういうのとは関係ないんだろうか?(まだトリガー大好きっ子ということ以外はよくわからないところである)
・ルルイエ
いやじゃない?「ルルイエ」って植物育てるの。
放送前特番の時から思ってたけどルルイエって植物、絶対危ないよ!って思ってしまう。こんなに不吉な名前もそうそうない。っていうかルルイエってクトゥルフの原作においては元々地名だろ!なんで植物の名前になってんの?
ルルイエを頼んだよ!とか言われたらそのまま投げ捨てちゃいそうである。
ティガ本編では太平洋上に浮上する古代遺跡として登場し、邪心ガタノゾーアが潜んでいたラストバトルの舞台ともなる場所である。
またティガにおいて植物といえばやっぱりギジェラである。ティガの世界においてかつて人類を滅ぼしたギジェラのせいで植物ってだけでちょっと不吉に思えてしまう。
スマイルスマイルなんて言ってる場合じゃない、たぶん咲いたらヤバイんじゃないか(偏見)
そんなルルイエがケンゴにとって、火星開拓における希望となっているのは何かそういった不吉なモチーフであるルルイエという名前を同時に持ち合わせるのは示唆的なものなのだろうか。
ルルイエが特に全然危険じゃなくて安全だったら笑ってやってください。
・作劇的に印象的な部分
かつてのウルトラマンティガにおいて、個人的に印象的なのは作中で強調される部分として「人は自分たち自身で未来を切り開くことができる」ということである。
その象徴としてかつて古代人を滅ぼした植物であるギジェラとの戦いにおいて人類は自ら未来に進むことを選択するエピソードである「永遠の命」や最終話等が挙げられる。
ダイゴもまた、光であり人である存在として、人としての自分の道を選んでいき、そしてティガの世界観は自らの力でネオフロンティア時代への躍進等への未来に進んでいくのだ。
トリガー1話において強調されているのはケンゴが「人々の笑顔を守りたい」という部分である。母親に対しても闘いに赴く前に「スマイルスマイル」と語りかけている。
1話だけだとまだシズマ会長に流されてるようにも感じるケンゴが今後どういった形で自身のアイデンティティや意思を行動に示していくのだろうか。
ティガと比較して、トリガーの作劇がどういった形に向かっていくのか注目したいところだ。
・おまけ
そういえば今回のボイスドラマ枠はギャラクシーレスキューフォースなんですね。
このへん、「喋らないウルトラマン」としてのトリガーの側面があってこそなのだろうか。
後輩のトリガーくんのフォロー(?)としていっぱい喋るリブットとソラであった。
「言葉が通じなくても心を伝えることはできるはず!」