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GWに漫画版クウガを読んだ 感想

GWに漫画版クウガが全話無料ということで、読んでみた感想です。

自分用のメモ的も兼ねたような形の記事として書かせていただいてますので、かなり読みにくくて申し訳ありません。

 

・漫画版における『戦士』の概念

 漫画版クウガで気になったポイントとして、五代雄介の『戦士』としての強さが度々言及される部分である。

 漫画版の五代雄介は、人並みに精神的に傷つき、また人並みに他者を尊み、人並みに社会に馴染める人物である。そしてそれと同時に「他者を守るために戦うことを選ぶことが出来る人物」として描かれている。

 作中ではそんな五代の存在を多方面のキャラクターの目線から強く評価している。

 一条薫は五代を一人の人間として評価し、また自分が守られる側となることに悩み、五代の隣に立ち共に戦うことを目指すような特撮版の一条薫と根幹は似通った形の立場にある。 

 特撮版と違うポイントは、一条薫がG3ユニットの装着員となり、五代に立ち並ぶ『戦士』となることだ。

 駿河徹也は漫画版のオリジナルキャラクターである。傭兵として各国を渡り歩き、「自分にとって楽しいもの」を優先する彼の目線から見て五代雄介という存在は『強さを持つ戦士』であり、自分の弟子のような立場である津上翔一を五代雄介のような戦士に育てあげようとしている。

 彼は五代雄介の『戦士』としての強さを明確に評価している人物であるといえる。

 津上翔一は元々は仮面ライダーアギトの主人公であるが、漫画版仮面ライダークウガではアギト本編とも全く異なる実質的なオリジナルキャラクターとして登場する。

 様々な『弱さ』を抱え、戦闘においても精神面においても未熟である津上翔一は五代雄介の存在を「優しく能天気な人物」と若干表面的に捉えており、後の事件においても騙されやすい人物であると評価している。

 

 これらの要素の対比によって漫画版においては際立って「五代雄介」の強さが表現されている。

 五代雄介は決して能天気なだけの人物ではなく、精神的に大きな打撃があっても自身でそこに決着をつけることができ、そして戦闘面においても優れており、そしてそれらを踏まえて彼の中には本物の「やさしさ」が存在している。

 漫画版では様々な特撮版と違うポイントが存在するが、五代雄介に限っては非常に特撮版の「五代雄介」を意識したものになっていると感じられる。

 自分としてはこれらを踏まえて、漫画版仮面ライダークウガは客観的に見た『仮面ライダークウガ』という作品自体の強さを再解釈する作風であると感じられた。

 

・漫画版クウガにおける津上翔一

 漫画版における津上翔一は「戦士ではない存在」である。

 彼は精神的に不安定であり、物語序盤では姉の事件では自殺未遂に至り、師匠(?)のような立場の駿河からも度々その弱さを指摘される。

 彼は明確に五代雄介の戦士性の対比キャラといえる。五代雄介は多くの悲劇が彼に降りかかっても、彼自身の強さはそう簡単には揺るがない。

 しかし、そんな彼を津上翔一は「守る対象であり、自分に守られたからこそその存在を保てている」と見なす。

 津上翔一が戦う理由の多くは個人の感情に寄り添う場面が多い。自らの近しい人を傷つけられたからであったり、駿河の影響によってであったり、五代のためであったり…。

 それらの行動の多くは津上本人が自身の心を守ろうとする「防衛」にも見える。そしてそれらは決して五代雄介によって確立されている概念である『戦士』とは真逆のものだ。

 しかし同時にそれらの人間としての弱さがこの漫画における津上翔一というキャラクターの魅力であることは否定しようがない事実である。

 これらの戦士の要素のネガ的な部分を持つと同時に、津上翔一は特撮版の津上翔一とも対比的なキャラと言えるだろう。

 漫画版の津上は序盤の時点で生きることへの希望を失っており、前述の通り自殺未遂に至っている。「痛み」や「苦しみ」、「怒り」…様々な負の感情を持たざるを得ない事態が彼には多く襲い掛かり、それらを踏まえて彼は存在し続けている。

 それらは特撮版において、生きることを肯定する「強さ」を持ちあわせる芯の強さを持つ津上翔一とは対照的だ。太陽のような特撮版と比較するとまるで影のような存在であるといえるだろう。

 彼は戦士ではなく、人間の弱さを抱え それでも「アギト」の力を持つことで生きることを強要されているといえるだろう。

 津上翔一で描かれるものがどうなっていくのかは今後の漫画版仮面ライダークウガにおいて注目したいポイントだ。

 

・漫画版クウガから見るヒーロー性

 ヒーローとは何かというのは、度々話題になっては苛烈な喧嘩になりかけない危ない話題の一つである。

 特に「仮面ライダークウガ」という作品は仮面ライダーにおいてそこに踏み込んだ作品であり、今でも多く語られる元となる作品であるといえる。

 そんな仮面ライダークウガをある意味俯瞰的に見たこの作品は、『戦士』というヒーロー性を強く主張する作品であるといえる。

 『戦士』は、力をたとえ持ったとしてもそれを悪戯に使わず、他者を守ることに重きを置き、そこには自身のアイデンティティ以上に、他者を尊ぶ価値観が存在している。

 そしてこれらと同時に本人の精神性は間違いなく一般人であり、力を持つことに内心怯えることもあれば、精神的に傷つき悩むこともあり、 そしてそのうえで自らが戦う理由に何らかの形で確実な答えを持っている。

 それははっきり言って矛盾を抱えた存在であり、仮にそんな人間がいたとして現実的に考えればこれらを両立するならば精神的に壊れてしまうのではないかと思う。

 だからこそ、そういった「ヒーロー性」が成り立つのはきっとフィクションの中だからこそではないかと考える。

 漫画版クウガにおいて、一条薫の代名詞的なものであり、五代を後押しするものとして『正眼の構え』という概念が出てくる。

 「恐怖 怒り 憎しみ… そんな感情に心を乱さず闘志を内に秘める平常心」

 後にこの概念はG3という機械に身を委ね一体となることでその内なる闘志をそのままダイレクトに戦闘に体現する「一条薫が仮面ライダーG3となる」ことに繋がっていく。

 それはまさに作中における「戦士」の概念を人工的に成り立たせるものである。

 

 片手落ちになってしまうが、漫画版クウガにおいてこの「戦士」の対比キャラとして駿河哲也や津上翔一がどういった形で描かれていくか

 また既にそのおおよそは描かれているともいえ、それは過去の井上作品の多くのキャラクターとも類似している欲望や感情に実直なキャラ性から出される「ヒーロー性」である。

 井上作品の方向性を与えることによってより「クウガ」の強い掘り下げを行う漫画版クウガはそういった視点で非常に興味深いうえに、やはり井上敏樹という人物の経歴を踏まえても面白い作品であると思う。

 

・率直な漫画の好きなポイントや感想

 最後に、この漫画版クウガのあんまりよくないところなのだが 正直今回の一気読みのような形でないと非常に読むのが辛い作品な気がしてならないところである。

 今後どのような展開になるんだ!?というワクワクよりもキャラクター同士のいざこざや負荷の大きいものが展開されるので、これを期間を開けて読む形だと滅入ってしまいそうだ。

 一気読みだからこそテンポよく読み進められたが、ある程度の話数を重ねてようやく不和が解決されたり、作中の人間関係が進展したりと長く読むのは少々厳しい気がしてしまった。

 しかしだからこそ節目節目でのカタルシスがしっかりきまっており、読んでいてぐっとくる見開きページや、特に漫画版クウガの見どころと言えばカラーページである。

 要所要所に挟まるカラーページでの心情表現とクウガの『色』はこの漫画だからこそ、ならではの良さで個人的に一番好きな部分だ。

 今まで追いかけられてなかったし、無料だから読めたという部分は大きいが今回読めて非常に良かったと思う。