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大逆転裁判1&2の今振り返る 逆転裁判4

 ※各作品のネタバレを含む内容です 注意してください

 

 

大逆転裁判が内包する逆転裁判の要素

 既に発売当時から語られている通り、大逆転裁判1、2における物語は『逆転裁判』のシリーズ的要素の数々を内包している。

 1では依頼人を救うために「信じる」ことの意味を振り返る、逆転裁判無印を意識させられる構造。

 依頼人自身が実は犯人であったことが判明する逆転裁判2の構造。

 第一話が最終話等に繋がっていく逆転裁判3の構造。

 そして、「法律」を悪用する相手や「法」を変えねば解決できない「犯人」が登場する逆転裁判4の構造。

 『時代の闇』に立ち向かう逆転裁判5の構造。

 『国』を揺るがす逆転裁判6の構造。

 

 逆転裁判5や6等は当時意識して踏まえられてるかは疑問だが、逆転裁判という作品は自ずとこのテーマと向き合わざるを得ないとも言えるだろう。

 そして、大逆転裁判では「科学がまだ世界的に導入される前の世界」であることを利用して、蘇る逆転から導入されたカガク調査等が「陪審員」を説得するための要素として利用される。

 新システムである陪審員システムは逆転裁判4における裁判員制度を、レイトン教授VS逆転裁判における要素を踏まえて変化させた形でシステム的に持ち込んだモノと言えるだろう。

 また、レイトン教授VS逆転裁判における群衆尋問も大逆転裁判においては採用されている。

 システム的にも多くの逆転裁判の集大成的作品と言える。

 

 これらの「大逆転裁判逆転裁判の集大成的作品である」という前提の上で、逆転裁判が戦う相手が明確にあらわされているのも大逆転裁判と言える。

 大逆転裁判の世界ではまだ「序審法廷」の仕組みが存在していない(のかはわからないが作中では言及されていない)、3日以上かかっても裁判自体は続けることができるようだ。

 そんな大逆転裁判において向き合う存在として最初に提示されるのは「コゼニー・メグンダル」であり、彼は裁判の「証拠」が最重視される仕組みを利用し、裁判を金の力で歪めた。

 このことは成歩堂龍之介の心に弁護士が「信じる」ことへの疑問を抱かせると同時に大英帝国の闇を見せつけるものとなった。

 そして2のラスボスの「ハート・ヴォルテックス」、ヴォルテックスは多くの犯罪を自分自身で手を下さず、死神の暗殺などを利用し、そして法によって整備されたロンドンの平和を盾にすることで罪から逃れようとした。

 あの世界においてハート・ヴォルテックスという人物を罪に問うことが出来なかった以上、その時にとどめとなったのはより高い権力。そして当時の民意の代表人物であろう「ヴィクトリア女王」であった。

 大逆転裁判において向き合った2人の闇が盾にしたもの、それは地位と法である。

 そしてこれらと向き合うために大逆転裁判において存在していたのが『民衆』なのだ。

 成歩堂たちが法廷で戦う中でその『真実と向き合う意思』を認めるのは大逆転裁判の最終話においても『第三者』だったのである。

 それらは「法の絶対性への疑問」と「法律以上に真実を見極めるのは第三者、および『民意』」を提示しているといえる。

 逆転裁判が最終的に戦う、戦わねばならない存在。それは『法』となっていくのはシリーズをプレイした人間ならば感じ取る部分ではあるだろう。

 そして『法』と向き合うことを明確にテーマにした作品、それこそ「逆転裁判4」なのである。

 

・今振り返る逆転裁判4

 逆転裁判4は今でも賛否両論が出る作品であり、その原因はさまざまなのだが、一つとして「成歩堂龍一の堕落」というのがよく挙げられる。

 逆転裁判3で「ゴドーにも認められた、1人前の弁護士」となったはずの成歩堂は、4の物語の中で罠にハメられ、そして証拠品の偽装という汚名とともに弁護士バッジをはく奪されてしまっている。

 しかし、そんな成歩堂逆転裁判4において秘密裏に動き、多くの協力者によって成立させようとしていたもの。

 それこそが逆転裁判4というゲームが出た当時にも話題になった『裁判員制度』である。

 逆転裁判4におけるラスボスである牙琉霧人は『弁護士』であり、成歩堂を陥れ、そして刑務所に入った後に更なる罪を追求され、「証拠品」だけでは立証しきれない罪を裁判員制度によって裁かれることとなった。

 牙琉霧人はそれまでの逆転裁判シリーズではある種の万能能力として示されていた『サイコロック』すらも通用しない存在として提示されており、

 逆転裁判におけるある種のアンチテーゼ的キャラクター性を持ち合わせているといえる。

 彼の「法」を盾にするという要素は逆転裁判4の前に発売された蘇る逆転における巖徒海慈等にも見られる特徴であり、やはり逆転裁判が向き合っていくにあたって最終的に着地するのは『法』なのであるといえる。

 そして逆転裁判4のラストでは演出的に「プレイヤー」に成歩堂龍一が呼びかけ、成歩堂王泥喜の裁判や調査のデータを追体験し、「裁判員」として牙琉に「有罪」を示すのである。

 それはかつて、逆転裁判をやってきたプレイヤーたち、その視点でこそ成歩堂王泥喜の「真実を追求する姿勢」を肯定できるということであり、つまり逆転裁判4における「絶対的な法へのカウンター」である『良識のある一般市民』とはプレイヤーなのだ。

 プレイヤーの良識、今まで逆転裁判をプレイしてきた経験、それまで逆転裁判4でみてきたもの。それが最終的に絶対的とされる『法』を盾にする犯罪者を追い詰める武器となる。

 逆転裁判というゲームがあの世界観と向き合う「コタエ」としては非常にまとまった着地点なのではないだろうか。

 

 逆転裁判4は当時、非常に散々な評価を受けた作品である。しかし、だからこそ大逆転裁判において明確に示された真実を追求する姿勢とその肯定を踏まえることで再評価が「しやすくなった」と自分は考えている。

 ゲーム自体のあれこれとは別に、逆転裁判という作品が最終的に辿り着いてしまう場所はやはり逆転裁判4が現状は最も「近い」のではないだろうか。

 

逆転裁判が避けられないロジック

 逆転裁判の世界はそもそも、「犯罪が多すぎて3日で裁判を終わらせないといけない」というとんでもない世界観が前提となっている。

 そしてこれらによって多くの悲劇が産まれていることは作中でも明確に提示されている要素である。

 それらを踏まえて逆転裁判5、6では虚偽の証拠品や信頼の落ちた時代が描かれつつ、それらと向き合う新世代も描かれている。

 逆転裁判の世界はどう頑張っても、「物語が続く」限りはこれらの歪みとは向き合わざるを得ない。

 そういった意味で、大逆転裁判は時代を戻し、逆転裁判の前の時代から「向き合うべき存在」が共通していることを示す作品ともいえるだろう。

 再びそういった路線に戻るのは難しいだろうし、今後逆転裁判が如何なる方向性に向かうかはわからないが、プレイヤーとして大逆転裁判をプレイした後だからこそ、また別の角度で逆転裁判をプレイしなおすのもおすすめしたい。