2023年 個人的アニメ単話10選
2023年の個人的に良かったアニメの1話単体で選んだベストになってます。
- テクノロイド オーバーマインド 12話
- トモちゃんは女の子! 10話『勝負の行方』『親友でいるために……』
- アリス・ギア・アイギスExpasion 5話「恐怖のハイキング!?/戦えヴェイパーヘイズ!?」
- 東京ミュウミュウにゅ~♡ 第2期 第14話 「みんとが家出!? わたくしが世界を変えますわ!」
- 英雄教室 第5話「魔王の娘」
- BanG Dream! It's MyGO!!!!! 10話「ずっと迷子」
- 絆のアリル セカンドシーズン 20話 「~羽ばたきの行方~」
- でこぼこ魔女の親子事情 6話「薔薇園のおしりあい事情」
- 川越ボーイズ・シング 7話「松ぼっくり」
- 攻略うぉんてっど~異世界救います!?~ 12話 「最終章 ノアを救う」
- まとめ
テクノロイド オーバーマインド 12話
脚本:関根アユミ コンテ:岡宗次郎 演出:イムガヒ
「もし何にも縛られずに、自分の心のまま生きられるとしたらみんなは何をしたい? それが『自由』だよ。」
人間とAIアンドロイドの心の成長が描かれるソーシャルゲーム原作のメディアミックス作品。
12話かけて積み重ねられたKNoCC(ノックス)の成長が文脈として載せられたライブ、そして人間とAIがそれぞれ絡まって描かれたストーリーの着地が描かれる1クールでの構成の気持ちよさが強い回。
特に一番好きなのがアンドロイドたちが心を認められる代わりに『寿命』が設定された結果として、主人公であるエソラがアンドロイドの家族たちであるKNoCCに、自分たちのやりたいことを決まった寿命の間に自由に選んでほしいという選択をする最後。
そのうえでエンディングでそれぞれのメンツが自分たちのやりたかったことを選んでやっているのかなと感じられる演出が非常に心に強く響く。
1クール、そして1話単体での完成度が見事な回だと思う。
トモちゃんは女の子! 10話『勝負の行方』『親友でいるために……』
脚本:西谷一希 コンテ:三條なみみ 演出:水本葉月
「俺たちは変わらないと思ってた。変わらないのがいいんだって。 けど、俺は変わっちまった… たぶんアイツも。なら考えるしかないだろ。それでもアイツと一緒にいられる方法を。」
すれ違いラブコメとして主人公である淳一郎が自分たちがかつてから変わったことを受け止め、それと向き合うことを心に決める回。
そういったボーイッシュなヒロインを男子と勘違いしている「すれ違いラブコメ」の構造を踏まえて、「男子と勘違いしているラブコメからもう一歩踏み込む作品」という特殊性を持つ作品でのストーリーにおいて、大事な要素である様々なポイントや変化、そして変わらないものの再確認が明確に訪れる構成からの淳一郎目線の特殊エンディングが非常に強い演出となっている。
現在から過去、過去から現在という1話での構成が非常に強い単体話としてチョイスした。
アリス・ギア・アイギスExpasion 5話「恐怖のハイキング!?/戦えヴェイパーヘイズ!?」
脚本:杉原研二 コンテ:山田浩之 演出:佐藤友一
「この駄肉のせいか!?おのれ!駄肉風情が!持てる者の傲慢かぁ?!」
かわいい女の子が宇宙生物と戦うSFシューティングのソーシャルゲームであるアリス・ギア・アイギスのメディアミックスアニメ作品。
アリスギアのよくわからないテンションのイベントをそのままアニメにしたかのような回が連打されるアニメにおいて、かなりその解像度が高い回として5話をチョイス。
「恐怖のハイキング!?」は一応この回自体がアニメオリジナル主人公である「高幡のどか」の個人的なパーソナリティである山登りが好きという要素を活かした回でもあり、またアリスギアの世界観としてコロニーに地球の環境を再現しているので本来の現実の山とは恐らく地形などが違っている特徴が活かされてる回でもある(どうしてこんなことに…)
「戦えヴェイパーヘイズ!?」はアリスギアアイギスのキャラクターである吾妻楓についてピックアップ(?)した回で、こちらも「どうしてこんなことに…」となる回なのでおすすめ。
またアリスギアEXというアニメにおいて印象的なもののひとつとして「BGM」も大きなものであり、BGMの使い方が非常に印象的だった意味でも5話は個人的に好きな回。
東京ミュウミュウにゅ~♡ 第2期 第14話 「みんとが家出!? わたくしが世界を変えますわ!」
「決して忘れませんわ。ここから始まるのです、わたくしのやりたいことは。」
現代のSDGsをテーマに組みこんで令和に帰ってきた東京ミュウミュウである、東京ミュウミュウにゅ~。
14話は東京ミュウミュウの一人、ミュウミントである藍沢みんとをピックアップした回。お金持ちのお嬢様であるみんとは家族の会社である藍沢グループの経営等において重要な仕事を任されないことに不服を感じ、家を飛び出して主人公である桃宮いちごの家にお泊りする。
そしてみんとは家族に認められるために、自分の事業計画プランを実現するために兄の会社の工場に潜入し(!?) そこにあるテスト機を奪い(!?) 発電機を試作するためミュウミュウのメンツに助けを借りることとなる。
この回は東京ミュウミュウにゅ~という作品において旧作ではなくにゅ~の独自の味を強く感じられる回となっており、特にみんとの兄との関係性やそれらを踏まえた環境問題への取り組みの描写などはミュウミュウにゅ~ならではの勢いだ。
ストーリーとしての破天荒さは然ることながら、「自分が本当にやりたかったことを見つめなおす」という地に足の着いてるような気がするオチのギャップもこの回の独特の味を強めている。
そして東京ミュウミュウにゅ~という作品の後半戦では藍沢グループの存在がかなり大きいものとなっており、この回はそういった描写のある種のターニングポイント的な回といって過言ではないだろう。
にゅ~独自の味やみんとを掘り下げた回として非常に印象的であり、今年の単体エピソードに選んだ。
英雄教室 第5話「魔王の娘」
脚本:ハヤシナオキ 絵コンテ:川口敬一郎、高田淳 演出:吉本雅一
「いつまでこんなところで引きこもっているつもりだ?我はポンコツに勝ってもうれしくないぞ?」
かつて世界を救った勇者の少年「ブレイド」が普通の一般人として生活していけるよう学園の生徒として日々を送るライトノベル作品である英雄教室。そのアニメ化作品。
アニメは川口敬一郎監督や中野英明副監督における超ハイテンポな構造が印象的なものとなっており、毎週視聴者から「本当に30分だった?1時間くらいの内容じゃなかった?」と言われるようなアニメとなっている。
5話は生徒の一人であるマリアというキャラクターの掘り下げと問題の解決を1話にまとめあげた回であり、マリアのキャラ紹介、抱える問題、向き合い、解決をすべて1話でやっておきながらも全く過不足を感じない回だ。(が、英雄教室というアニメはこんな回ばかりのアニメである。)
英雄教室という作品自体がそれぞれのキャラが様々な事情を抱えながらも、ある意味当たり前の楽しい日常や学園生活を送ることを目指すような作品であり、そういったテーマ性の面でもこの回のまとまりの良さはものすごい形となっている。
単体話数という意味では英雄教室はどの回も猛烈な完成度を誇っているが、キャラクター個人が1話で猛烈な勢いで立ち上がっていく1話として個人的に印象的だったこの回をチョイスした。
BanG Dream! It's MyGO!!!!! 10話「ずっと迷子」
シナリオ:後藤みどり 絵コンテ、演出:梅津朋美
「全て消えてしまったのでないのなら、戻りたい、伝えたい、許されるのなら僕はあきらめたくない!」
ガールズバンドプロジェクト「BanG Dream!(バンドリ!)」の新作アニメであり、新キャラクターたちのバンドの結成を描く作品。
それぞれの葛藤や悩みが絡み合い、バラバラになりながらももう一度バンドとして集まる回である10話は今までのカタルシスが着地する回であり、ようやくMyGOのメンツが自分たちを見つめあうことができる回となっている。
この回の印象的な部分はバンドリという作品がガールズバンドというテーマであり今までのアニメでやってきた演出としてのライブ演出、「ライブハウスの中」であるという部分を構成的に組み込んでいる部分であり、
観客席からバンドメンツを引っ張り上げて、そして完全に観客の方を見ないで行われるライブというのはバンドリアニメの構造だからこそ印象的に行えている演出だ。
この1話単体でバラバラなところからの再結成、そしてライブでの着地を描いた1話の密度。単話として個人的にチョイスしたい回として非常に評価の高い回だ。
ライブアニメが増えてきた昨今だからこそ、ライブが「ライブハウスで行われている」という部分が物語的にも強く輝いてるという意味で色々なライブアニメに興味がある人は是非見てほしい。
絆のアリル セカンドシーズン 20話 「~羽ばたきの行方~」
脚本:赤尾でこ コンテ:加藤もえ 演出:仲畑ひな
「必ず外に出る時が来る。その時は、次の自分の形を決めて、殻を壊すの。 じゃないと次の世界にいけないよ。」
Vtunerのキズナアイから始まったプロジェクトである絆のリアルプロジェクトのアニメ作品。
バーチャル世界で活躍する人材を育成するADENアカデミーを舞台に、バーチャルアーティストを志す少女たちを描く物語。
絆のアリルにおいてはバーチャルで見つかる新しい自分、そして繋がったことで生まれる新しい出会い、その結果として生まれるものをテーマに描いており、絆のアリル20話は主人公であるミラクが自分自身に立ち直り見つめなおす。そして新しい自分をPathTLiveの仲間であるクオンに見せて自分の思いを伝えることを決意する回となっている。
この回の強いところはPathTLiveのメンツが積み重ねの中でミラクのことを理解してる故の行動が光るところであり、ミラクが行うソロ曲もクリスが書き下ろしてくるなど クオンが揃っていないPathTLiveが確かにミラクを中心にしてクオンのために繋がっていることを感じられる構成になっている。
2クール目前半がこの回にある意味結実する意味でも、1クール目の内容が積み重なったことを感じられる意味でも色々な意味で単体話として強い回としてチョイスした。
でこぼこ魔女の親子事情 6話「薔薇園のおしりあい事情」
脚本:たかたまさひろ コンテ:たかたまさひろ 演出:渡辺万里恵
「マジスッゲー!イケイケ超絶ビューティーじゃん!アガる~!」
血の繋がらないながらも親子である魔女の師弟「アリッサ」と「ビオラ」の日々を描く作品「でこぼこ魔女の親子事情」。
本作品はテーマとして「親子」が一貫したものとなっており、基本的にどのエピソードもドタバタとしたギャグや世界観を魅せながらも根底に親と子が存在している。
6話の内容も親子が一つのテーマとなっており、薔薇園の妖精がかつてより見てきた家主の少女が結婚する婚約者と共に家を出ることを認めらないことを説得する回になっている。
薔薇園の妖精を親と見立てつつ、親をはやくに亡くした少女への寄り添い、それらを普段2話構成のでこぼこ魔女が30分をかけて描くに値する回となっており、でこぼこ魔女をみてきた視聴者に明確にテーマと作品の空気を感じさせる回となっている。
今年「冰剣の魔術師が世界を統べる」も手掛けたたかたまさひろ監督の脚本演出回として非常に印象的な回となっており、冰剣が作品のあらゆる要素全体で視聴者を楽しませたアニメであるならば、でこぼこ魔女はそれぞれの単話ごとのテンポや楽しさで視聴者を楽しませる意味でそれぞれ違った形でアニメのポテンシャルを出し切ったアニメであると感じさせるものとなっている。
川越ボーイズ・シング 7話「松ぼっくり」
脚本:川越学園文芸部 コンテ:松本淳、室谷靖 演出:日巻裕二
「あなたの音符が奏でられるのを待っている。」
クラシックの指揮者をクビになり、学生クワイア部を日本一にすることで指揮者に戻れるようにしてもらうことを条件にクワイア部の顧問を任された主人公「響春男」がクワイア部の学生たちと共に成長していく(?)物語。
アニメとしては非常に独特の空気感があり、あまり作劇において「歌が上手くなったりする成長」がストーリーのメインに組まれてないの特徴的。
高校生の様々な悩みがある日常や、クワイア部という居場所で変わっていくもの等、春男と共に音楽が日常に入り込んだことで少しだけ変わっていくものが描かれていく。
合唱という少々地味な要素ながら、そのテーマが常に中心という感じはしないのに何故か物語がクワイア部という居場所でまとまっていく。バラバラだった要素が合唱という形で一つになっていく。それが確かに感じられるアニメである。
かなりこの作品の空気感を口で表すのは難しいが、しかし強烈な魅力があり、それが爆発する瞬間や積み重ねが猛烈に美しく見える気持ちの良い怪作といえる。
7話はこの作品におけるテーマが非常にセリフで象徴的に表現されてる作品と言える回で、春男のクワイア部に対するパーソナリティ的な部分に踏み込んだものといえる。
仮に川越ボーイズ・シングを見ていく場合、この回をある種の指標的に見ていくと他の回への見方も変わるかもしれない。また、この回以外もどれも非常に素晴らしい回となっており、是非興味を持った人は見てほしい作品。
ただ惜しむべくはこのアニメがBDの販売が中止となり、2023年内に最終回を放送できなかったことに尽きる。
単体話だけでなく、2023年秋を代表するオリジナルアニメとして1作オススメだ。
攻略うぉんてっど~異世界救います!?~ 12話 「最終章 ノアを救う」
「私は2年前ライライン様に忠告したんだ。全ての希望を得体のしれない救世主に任せちゃダメだって。」
中国のbilibiliで製作されたCGアニメーション作品。ゲームの異世界に転生した主人公のイノーが、異世界で出会ったかつての教え子エンヤァと共にゲームをクリアし現世に戻るため冒険する物語。
ゲームのメタネタ的な部分が非常に多く盛り込まれており、ゲームについて知っている人だとニヤリとする描写が多く また、ストーリーもそういったゲームのメタネタ的な部分が組み込まれている。
アニメ自体がゲーム的なトゥーンレンダリングで描かれているのも印象的であり、とにかくゲームへの造詣が深い作品であり、そのあたりのネタの取り回しが非常に上手なのが印象的。
EDの映像なども作中のストーリーのある部分とリンクしており、意味が分かると結構感動する形となっている。
また、最終回の構成も中々挑戦的で、エンヤァが実際に作成された鬼畜ゲームをクリアするのを描く構造になっており この作品が描いてきたゲームネタがある種付き詰まったものとなっていると言える。
近年多くなっているそういったゲームネタ作品としては作品全体としてそれを強く意識した作品というのはある種特殊であり、またイノーとエンヤァでゲームを楽しむ態度が違っている部分もゲームというコンテンツを多面的に描いているといえる。
終わり方などの良さも含めて単話として最終回をチョイス。
まとめ
なんだかんだ今年も面白いアニメが多かったですが、今年は個人的に単純に「面白い」とは違うアニメともまあまあ出会えたのが良かったところかなと思ってます。
ものによってはあんまり出来がいいとは言えなかったり、また何でこんなことになっちゃってるんだろうみたいなアニメもそれなりにあったのだけど、それでもそういうアニメが存在し、また出会えるということは非常に貴重。
こういう10選や例の評価されるべきアニメなどではそういうアニメはピックアップしにくく、また自分でもどうやってそういうアニメを話題に上げるかという意味では結構なやましいのだけど、そういったアニメがあったこともまた2023年だったということで包括していきたい思いです。
2023年のアニメを作ってくれたすべての人にありがとう!
星屑テレパスを読んだらアルジェントソーマと繋がった話
星屑テレパスは現在まんがタイムきららで連載中の大熊らすこ先生による4コマ漫画作品であり、アニメ化も決定している作品である。
主人公の小ノ星海果は他人とのコミュニケーション能力に難があり、自身が理解される場所を地球以外のどこかに存在するのではないかと夢想している女子高生である。
そんな海果は自称宇宙人であり、おでこを合わせることで相手の考えていることがわかる能力を持つ明内ユウと出会ったことをきっかけに日常が変化していくのが星屑テレパスの物語である。
星屑テレパスは作品のモチーフや物語の展開において宇宙やロケットなどの描写が多く出てくる。そのうえで「相互理解を持ちえない人間の内なる孤独」と「それを埋め合わせるコミュニケーション」が、この作品の根幹として強く表現されるテーマだ。
そんな星屑テレパスをきらら本誌を定期購読している身でありながら最近までしっかりと触れてなかった筆者が最近読んだ結果、この作品からある作品を連想した。
それがアルジェントソーマである。
「黙ってちゃわからないだろう」
アルジェントソーマは2000年から2001年に放送されたサンライズ制作のSFアニメだ。
舞台は2059年、エイリアンの襲来によって多大な被害を受け、人類が対エイリアン対策にエイリアン対策特殊部隊「フューネラル」を作り上げた地球。
主人公のタクト・カネシロは恋人のマキ・アガタとマキの師事するアーネスト・ノグチ教授が行うエイリアンの死体を繋ぎ合わせ、その死体 通称「フランク」を蘇生する実験に立ち会う最中、実験の事故により目の前で恋人を亡くしてしまう。
フランクは実験により蘇生され逃亡、その最中でハリエットという少女と出会いフランクはハリエットを守るために行動するようになる。
フランクはその後、フューネラルによって捕獲され タクトは恋人を失った復讐としてフランクを殺害するため、裏取引を経てタクト・シロガネの名と顔を捨て「リウ・ソーマ」としてフューネラルに入隊し、そしてフューネラルでエイリアンとの戦いに身を投じていく。
色々とあるアルジェントソーマだが、そのテーマの一つはまさに星屑テレパスと同じ、「コミュニケーション」である。
タクトは恋人、マキに対してマキが自分とのやり取りの中で黙ってしまうことに対し、口癖のように「黙っていちゃわからないだろう!」と強く当たり、死の直前の会話ではタクトは彼女の為に作った指輪を目の前で捨ててしまう。
タクトとマキの間にはディスコミュニケーションがあり、タクトはアルジェントソーマ本編の中で幾度となくマキに対して強く当たったことを後悔し思い出す描写が入る。
「黙っていちゃわからないだろう」は作中で何度もリフレインされ、同時に様々なキャラが口にするキーワードだ。
そしてこれはまさに星屑テレパスと同じテーマを持つ作品たる部分である。
星屑テレパスでは主人公の海果は極度のあがり症やコンプレックスにより、人前で上手に喋ったり思いを伝えることができない故に多くの場面で「会話」、「口にする」こと自体に辿りつけずにいる。
その結果として、様々な亀裂やすれ違いを産んでしまう故に孤独を感じている構造だ。
これはまさにアルジェントソーマの構造とそのまま繋がる。
アルジェントソーマのキャラクターは海果のように、何らかの形で様々な孤独を抱えており、ディスコミュニケーションの中ですれ違っている。
そんな彼らの間は時間と会話、心を通して少しずつ溝が埋まっていく。
知ること、知りたいこと 傷つけることへの恐怖
「探求心と好奇心と行動力、どれひとつ欠けても真実に到達はしない。」
これはアルジェントソーマ本編で幾度となく出てくるセリフだ。
作中でこれは科学者として、何かを探求する研究することへの心構えとして提示される言葉であるが、しかしこれがそのまま作中ではコミュニケーション、他者への理解、そして他者への思い、愛の原則の一つとして明示されている。
しかし、同時に主人公のタクト・シロガネ(リウ・ソーマ)は、愛ゆえに他者を傷つけること、そしてその傷つけた自分を責め、自分の殻に閉じこもることで他者とのコミュニケーションの溝が埋まりにくくなってしまう。
星屑テレパスの作中で提示されるキャラクターたちもまた同じだ。
相手を知りたいと感じる、逆に自分が知りたいと思う故に傷つける可能性を恐れる。
他者とのコミュニケーション、関りを求める故に畏れ、他者を遠ざけようとする。
他者への探求心好奇心、そしてそれらを結びつける行動力があって初めて関係性は前に進むのだ。
アルジェントソーマで提示されるテーマや言葉の多くは星屑テレパスに共通したものを持つ部分の一つだ。
居場所の話
アルジェントソーマで、主人公のリウ・ソーマは復讐のためにフューネラルに所属する。
しかし、そんなフューネラルという場所が、ソーマにとっての一つの居場所となり、そして仲間たちにとっても フランクにとっても居場所であり「我が家」となっていく。
星屑テレパスもまた、居場所が一つ機能的に作品内で提示されている。
ロケット研究同好会は海果たちメインキャラクターたちが集う場所であり、孤独を感じる彼女たちが自分たちで作り出したコミュニティとしての居場所だ。
「孤独を感じるものたちが集う場所」という形でのモチーフで描かれるフューネラルとロケット研究同好会は、2つの作品が『コミュニケーション』をテーマとしてるうえで大きな機能性を果たしているのだ。
アルジェントソーマという作品のコミュニケーションという部分は非常に強く強調されている部分だ。しかし、この作品において初見ではそれ以外の部分を追いかけることに精一杯な作品でもある。
しかし何故傷つくのか?何故傷つけあうのか そういった部分への着目やコミュニケーションにおける作りへの丁寧さは、何度も見返すことでより深く掘り下げられるだろう。
それは星屑テレパスも同じである。星屑テレパスが明確に提示するコミュニケーションと宇宙、エイリアンとの要素的かみ合わせがアルジェントソーマへの理解をより深めてくれた。
作品は1つの側面だけではなく、他作品から別の側面を見出すこともできる。
そういった形で、またアルジェントソーマを見返す機会を与えてくれた星屑テレパスという作品に感謝したい。
そして星屑テレパスの今後の展開にも期待している。
備忘録的感想 Sh15uya-シブヤフィフティーン-
ここは渋谷であって渋谷ではない……
バーチャルワールドに生きる15歳たち
この痛みだけは……現実(リアル)!
『Sh15uya(シブヤフィフティーン)』は2005年に放送された深夜特撮テレビドラマ作品。
平成ライダーでタッグを組んだ白倉伸一郎P、武部直美Pと田崎竜太監督、鈴村展弘監督等平成ライダーでよく見かけるメンツによって手掛けられている作品である。
また、アクション監督には牙狼シリーズで印象深い横山誠監督が関わっている。そういう意味では牙狼と仮面ライダーの合いの子的存在ともいえるかもしれない。(ちなみに横山監督は仮面ライダーTHE FIRST等のアクションにも関わっている。)
元々それなりに特撮ファンには有名な作品でもあるのだが、TTFC(東映特撮ファンクラブ)等でも配信されており気になっていた作品で、DMMTVが現在東映作品を配信しているおかげで視聴する機会を得られた。
シブヤフィフティーンで印象的なのはまず「仮想空間」という設定だ。
なんとこの作品、OP時点で「仮想空間で生きる15歳たち」と言い切っている。そう、仮想空間という真実はこの作品にとってはギミックではありながら隠している部分ではない。ここが一つのこの作品の強みであり1クールで駆け抜ける構造の一助となっている。
仮想空間である前提で作品を見ることで、「あぁ、この変な動きをしているキャラや描写はつまり仮想空間でのNPC(ノンプレイヤーキャラ)なのだな」というのが視聴者に共有されているのだ。
また、何となく1話や2話の時点での謎の大枠も視聴者には見えている部分があるだろう。
意外というか、この視聴感が独特で、ではかなり独特な風味のあるシブヤフィフティーンの味で「シブヤ」の世界をどうやって解体していくのだろう?という形で視聴者を引っ張るというのは存外面白かった。
自分の中ではやはりADV(アドベンチャー)ゲームに近い味と言えるかもしれない。
この作品で魅力的に映る部分が、非常に独特というか前時代的で退廃した雰囲気の映像、汚れた渋谷の描かれ方、そしてそこに生きるティーンたちの描写だ。
元々こういったかつての不良グループ、チーマーの存在は90年代に存在し、それらが文化的に様々なところで取り入れられていったものでそれらのコンテンツ的源流として印象深いのはやはり「池袋ウエストゲートパーク」と言える(あくまでミーハー的目線というか、大衆的な目線からではあるが)
自分はこういった時代を反映したような映像の暗さや閉塞感、そして若者の憤りを描く作品の空気が結構好みで、ここにおいてSFとそれらを組み合わせ実写でそれを出力するという意味で非常にシブヤフィフティーンは個性的かつ魅力的な作品だと思える。
その代償といってはなんだが、とにかくこのドラマは画面が暗い。低予算なドラマであるゆえに、映像を誤魔化している部分もあるのかもしれないが、とにかく画面が暗い。
ある意味そういう時代の作品っぽいともいえる。しかしながら場合によっては演者の顔もちょっと判断し辛いくらいは画面が暗い。
しかしそれが本当にこの作品を良い意味で「息苦しい」ものにしていると感じられる。
生き苦しい渋谷でわけもわからないまま放りだされて異様なノリのヤンキーたちに絡まれ、そしてピースという異常な存在に殺されそうになるヒリヒリとした空気。
シブヤフィフティーンだからこそ感じられる味だろう。
そういった方向で個人的に好みな「serial experiments lain」や「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」のような画面の暗さ、生き苦しさ、空気。
これらが好きな人には是非おすすめしたい作品だ。多少映像やCGが粗い部分も個人的には好みな部分だ。
また、この作品でキャッチーな部分といえばやはりヒロインであるエマを演じる新垣結衣さんが「変身」して戦うことだ。
今となっては「新垣結衣」といえばこのような低予算作品に出演していたのが信じられない有名俳優の一人と言える。
前述のとおり牙狼の横山誠監督が関わっている結果、牙狼でも活躍したマーク武蔵さん演じるピースとの迫真のアクションシーンが魅力的。
牙狼の時もマーク武蔵さんがアクションするシーンになると今までにも増して戦闘が猛烈に激しくなって、「なんかアニメで急にアクションシーンで作画が良くなるやつみたいんだな」と思うことが多く、そういった現象がシブヤフィフティーンでも楽しめる。
そういう意味で個人的にシブヤフィフティーンは「牙狼っぽい」側面も持ち合わせていると言える。
シブヤフィフティーンは常に偽物の世界ではなく、現実に戻ることが作品のメイン目的でありテーマだ。しかし、それだけがこの作品の大切な部分ではない。
主人公のツヨシにとって、エマを現実に戻す。エマや仲間たちと共に現実に戻る、向き合うことがこの作品にとって大事な部分となっている。
しかし、ラストでエマは植物人間状態故に実際はシブヤ以外で意識をもって生きることが出来ないという現実にツヨシは向き合うこととなる。
ではどうやってこの辛いことが待ち受ける現実に立ち向かい、未来に向かっていくのか?
最終的に物語としてエマはそれらの事実をある程度知りながら、ツヨシと共に現実に戻ることを選択した。「自分から」辛い現実と向き合うという選択、そしてその現実に立ち向かうために寄り添う そういった関係性がこの作品の最終的な着地地点であると自分は思う。
最終的にこの物語を見て、人によっては「なんだ、結局問題は解決してないじゃないか」と思うかもしれない。
しかし、エマが「自分という存在を取り戻し」、そして「自ら一歩踏み出す」という自己選択に至ったこと。そしてそれに寄り添う人たちと出会えたことがこの作品の着地であり大きな進展なのだ。
「内面の革新」と「関係性の広がり」はループで閉じられたシブヤでは得られなかったことを、シブヤに来た当初のエマの経験を通して描かれている。
この作品が提示する「未来」とはそういうことなんだと自分は思う。
2023年冬クールは誰が統べるのか おすすめのアニメを紹介
2023年冬アニメも始まって3話ほどに差し掛かり、多くのアニメ視聴者の大方の見るアニメも決まってきている頃かもしれない。
少し遅いかもしれないがそれぞれの今期注目アニメを羅列し、冬アニメを統べるアニメをチェックしていきたい。
お兄ちゃんはおしまい!
お兄ちゃんはおしまい!はスタジオバインドがアニメーション制作の、同人作品から書籍化に至った漫画原作のアニメ化作品。(現在は月間ComicREX等で連載中)
妹に薬を飲まされ、女の子になってしまった主人公「緒山まひろ」を主役にしたコメディ作品。
このアニメの特筆すべきポイントの一つはコメディを輝かせるアニメーションのクオリティの高さ。
監督はGo!プリンセスプリキュアでの戦闘シーンやアニメぱすてるメモリーズのED等で評判になった、無職転生でアクション監修として活躍したアニメーターである藤井慎吾監督。
そのほかにも様々な仕事で非常に評価が高いので藤井慎吾監督の様々な仕事を個別に追いかけてみるのもおすすめだ。
そしてキャラクターデザインは化物語など、シャフトの印象深い仕事で活躍した今村亮さん。
これらのスタッフが全力で取り組むアニメーションとテンポよく繰り出される映像が作品の魅力を確実なものにしているのは言うまでもないだろう。
そしておにまい!本作の最大の魅力はやはり「TS(トランスセクシャル)」というギミックと「兄妹」の関係性により描かれるストーリーだ。
兄であるまひろは完璧すぎる妹に対してのコンプレックスを抱えた結果として現在の引きこもりとしての人物形成が為され、それに対して妹は兄に対する羨望から兄を引き離す天才として成長しているアンバランスさ。
ここのバランスに対して「兄がかわいい女の子となる」というTSという要素によってお互いの関係性を1からやり直しお互いのアイデンティティが段々と解体されていく構造となっている。
兄としてのアイデンティティの解体と兄妹の関係性を再構築。二人の関係の向かう先が気になるアニメとして注目だ。
ところでTSにおける女性への性転換といえば男性しかできない男らしい行為といえるが、男らしいといえば、2023年冬アニメの一つである「冰剣の魔術師が世界を統べる」である。
冰剣の魔術師が世界を統べるでは男らしいバルクを持った主人公、「レイ・ホワイト」が活躍する2023年でも注目のアニメだ。
おにまいと繋がる部分があるこの作品にもぜひ注目してほしい。
アルスの巨獣
アルスの巨獣はDMM.comと旭プロダクションが企画したアニメで、人類よりはるかに巨大な力と巨体を持つ「巨獣」が蔓延る世界を舞台に、主人公の「クウミ」と巨獣狩りの「ジイロ」が出会い、冒険が始まるファンタジーアニメ。
アルスの巨獣の注目のポイントはまず非常に綿密に描かれる世界観描写だ。作中のキャラクターたちにはそれぞれ文化や生活が存在することを示唆する食事の前の彼ら独特の祈りをささげるシーンや、巨獣を狩ることで生活をしていることを示唆する街の生活構造や狩りの様子が細かくアニメーションで描かれる。
ファンタジー作品としてこのあたりが丁寧なのは魅力として大きく、世界観が1話1話描かれていくだけで一つのワクワク感が生まれる。
そしてそれに伴って描かれるストーリー面はオーソドックスながらも軽快に描かれるボーイズミーツガール的な側面を持つ構造であり、「ナギモリ」と「カンナギ」という作中における重要な要素を持つ二人がそれぞれどのように物語が巡っていくか注目だ。
またアルスの巨獣を制作している旭プロダクションは基本的に多くのアニメ会社の撮影業を担うことが多いアニメ会社であり、そういった点からも今回旭プロダクションとしては珍しく元請けでアニメを作っているうえでの撮影効果の点も注目できるポイントかもしれない。
ところでファンタジー描写といえば「冰剣の魔術師が世界を統べる」も注目だ。
冰剣の魔術師が世界を統べるの世界観では魔術体系が脳から発露する能力であることが示されており、その結果プログラミングのように魔術を組み合わせる形で利用するものとなっている。
魔術の説明もアニメ作中で事細かく説明してくれるので、ぜひアニメ本編をチェックして冰剣の世界観を統べてほしい。
HIGH CARD
HIGH CARDはスタジオ雲雀がアニメーション制作しているメディアミックスコンテンツで、異能力を与えるカード「エクスプレイングカード」を回収するために戦う「ハイカード」の活躍を描く異能力バトルモノスタイリッシュアニメだ。
原作に「ビルディバイド」のアニメ等でも好評を受けた賭ケグルイの原作者河本ほむら、武野光のコンビが企画に参加している。
売り文句のようにスタイリッシュな世界観と作風、そして「賭け」が一つのテーマ性に食い込むストーリーがポイント。
主人公のフィン・オールドマンはポーカーにおける最弱の札であるスペードの2のエクスプレイングカードのプレイヤーであり、そんな彼が如何にして物語で異能力を「賭けて」活かせるかが作品の注目部分だ。
また参加しているアニメーター等が非常に豪華な部分も注目。アクション作画監督としてSAKUGAN等で活躍した望月俊平さんと、アクションアニメーターとして言わずもがなのベテラン、羽山淳一さんがタッグを組む。
エフェクト作画監督にもベテラン橋本敬史さんが担当し、作中のアニメーションに関しては確実な期待値を持っていい作品と言えるだろう。
個人的にはEDの映像が非常に良いのでおすすめだ。
ところでアクションと言えば「冰剣の魔術師が世界を統べる」だ。
冰剣の魔術師が世界を統べるでも非常に魅力的なアクションが楽しめる。主人公のレイ・ホワイトが元軍人のようなキャラクター故の描かれ方だ。
このようにアニメで描かれるアクションシーンにも注目していくことでよりアニメーションからキャラクターやストーリーを楽しめるだろう。
テクノロイド オーバーマインド
テクノロイドOVERMINDは動画工房がアニメーション制作のメディアミックスコンテンツであり、大規模な気候変動によって外出などにリスクが生まれるようになった世界観で、主人公のアンドロイドたちがアイドル活動を通して様々な人物と出会い成長していくと共に、その裏にある謎がひも解かれるストーリーとなっている。
テクノロイドの魅力としてはライブアニメとしての完成度だ。主役グループである「KNoCC」が他者と出会いそのめぐり逢いからくる物語がある程度1話完結のうえでその物語がライブに繋がり着地するというオーソドックスながら王道のライブアニメの構成としてよく出来ている。
また、テクノロイドの魅力はこれらのライブアニメとしての構造に加えて描かれるSF的な物語要素であり、「アンドロイドによる事件」や「気候変動により上昇した海面」等の世界観的部分が小出しにされ描かれることで作中世界におけるアンドロイドが必要になった理由もうっすらと見えてくる。
そしてアンドロイドを人類がどのように受け止めているかも描かれ、それに伴って主役のアンドロイドたちが如何なる存在なのかも掘り下げられていく。
監督のイムガヒ監督はサンライズ系列で活躍したアニメ監督であり、近年ではククルスドアンの島の副監督を務めていたのが印象的。
様々な面で今後も眼を離せない一作といえるだろう。
ところでSF的要素といえば「冰剣の魔術師が世界を統べる」も見逃せない。
先ほども説明した通り冰剣の世界観では魔術の世界観設定がプログラミングのように描かれ、SF的な面も持ち合わせているといえるだろう。
そんな魔術を悪用するために暗躍する敵と戦う対立構造も冰剣の魔術師が世界を統べるのストーリーの注目ポイントだ。
トモちゃんは女の子!
トモちゃんは女の子!は主人公の相沢智が、好意を寄せる相手である幼なじみの久保田淳一郎に女の子扱いしてもらえないことを中心に転がるラブコメディ作品である。
しかしこの作品の面白いところは一見普通の鈍感系ラブコメディを最初は装っているところにある。よくある鈍感系の主人公のように見える淳一郎だが、その裏腹に淳一郎には明らかに相沢智の好意に気づいている素振りがあり、そしてそれを元に見ていくと彼の智ちゃんに対する複雑な感情が見えてくる。
つまりこの作品のポイントは「鈍感ラブコメディ」という形式をメタ的に利用した複雑な人間関係をひも解くドラマ部分なのだ。
原作のトモちゃんは女の子!をアニメに落とし込むにあたって、アニメは非常にこの淳一郎目線より智ちゃん目線を優先し、淳一郎の要素を視聴者が客観的にひも解く構造をしていると言える。
もしアニメを少し触れて興味を持った人はぜひ原作もチェックしてほしい。
原作の落とし込みといえば「冰剣の魔術師が世界を統べる」も非常に興味深い形に落とし込んでいるアニメだ。
冰剣の魔術師が世界を統べるのアニメの作中描写、演出をたどると、実は原作の描写をアニメ向けに落とし込んだ結果として出力されていることがわかる。
冰剣の魔術師が世界を統べるはアニメ、漫画版でそれぞれ原作解釈が異なっており、漫画版が独自のアレンジ色を強くしてテンポよく描かれる少年漫画的な作品に仕上げているのに対して 原作を再解釈し、主人公のレイ・ホワイトを天然が入ったキャラとして解釈したオリジナルシーンを加えるなどの工夫が凝らされている。
冰剣の魔術師が世界を統べるに興味を持った人はぜひ、原作や漫画版も手に取ってそれぞれの媒体の違いを楽しんでいただきたい。
もういっぽん!
もういっぽん!はBAKKEN RECORDが制作する週刊少年チャンピオン連載中の漫画作品をアニメ化したものであり、主人公の園田未知が中学の頃にやっていた柔道にもう一度高校生活でかつて大会で出会った相手との再会等を通じてのめり込む、柔道部での活動を描く作品。
この作品の魅力的なポイント、それはテーマとなる「一本勝ち」の気持ちよさをアニメーションで実際に提示できているところだ。
柔道という競技の気持ちよさというのを柔道に興味がない人にも共有することを映像を通して行い、そしてそれにのめりこむ主人公の感情も構造的に提示されている。
学園生活などでの群像劇としてのキャラクター描写も柔道の描写と合わさり、青春を絡めたスポーツものとして魅力的なものとなっている。
あまり柔道に興味がない人でも触れやすい作品となっていると感じられる作品であるので、ぜひ一度触れてみて欲しい。
ところで学園生活と青春といえばそう、「冰剣の魔術師が世界を統べる」もそういった側面を持ち合わせている。
冰剣の魔術師が世界を統べるでは学園生活とは離れた人生を送っていた主人公、レイ・ホワイトが学校の仲間や生徒たちと交流することで今まで経験できなかった人間関係を築いていくのもこの作品の魅力の一つだ。
いかがだっただろうか?見てないアニメがあればぜひこの記事も活用して様々なアニメに触れる一助になれれば幸いである。
そして今期のアニメを統べるのが一体だれなのか、是非注目していってほしい。
ハートフル騙しあいバトル…開幕! 実写版嘘喰い 感想
見てきました実写版嘘喰い。
すごい楽しみにしていた実写版で、なんだかんだ映画としてはちゃんとした映画で安心しつつ感想を書いていきます。
そんなにネタバレになって困る部分がある映画な気もしないのですが、ネタバレが嫌な人は気を付けてください。
- この映画の魅力は…萌え!
- 実写版嘘喰いの原作と全く違うポイント、佐田国一輝
- 良くも悪くも「アク」が抜かれている
- 映画嘘喰い 明確によくなかった部分
- ストーリーの再構成部分について
- でもやっぱり原作が好き
この映画の魅力は…萌え!
「嘘喰い」はギャンブルを題材とした作品であり、主人公の「斑目獏」が様々な強敵とのイカサマ暴力なんでもありのギャンブルに勝利し、巨大組織「賭郎(かけろう)」のトップであるお屋形様への勝利 通称「屋形越え」を目指す作品である。
「嘘喰い」の魅力といえばギャンブルにおける高度な騙し合いによる駆け引き。命を賭けるギャンブルに身を投じる主人公の獏さんのミステリアスかつ危険な魅力。
そして嘘喰いに欠かせない要素といえば「立会人」や多くのキャラクターたちが織り成す「暴」のバトル。
多角的かつ独特の魅力を持つ漫画、それが「嘘喰い」。
そして今回、その実写化映画である映画版「嘘喰い」であるが、
まず大きな差異であり、映画独自の魅力。それは横浜流星君が演じる斑目獏がめちゃくちゃかわいいことである。
原作の獏さんもかわいいところはあれど、基本的には危険な香りを漂わせるギャンブラーであるが、映画の獏さんはとにかく柔和で気のいい人という感触である。
賭け事もとにかくキャッキャと楽しんでいる感じで、ある意味これはこれで非常に魅力的な青年といえるキャラクター性といえる。
ただまあ「獏さん」っぽいか?と言われると… となるが待ってほしい。 とにかく実際に映画を見るとめちゃくちゃにかわいいし とにかく良い人オーラがすごい。
こんな人に「今から一緒にギャンブルいかね?w」と言われたら…俺も楽しくいってしまうかも… そんな確かに「付いていきたくなる人物」の魅力が横浜流星獏さんにはあるのだ。
そして原作でも「萌えキャラ」と言えば欠かせないのが相棒キャラこと梶隆臣 通称梶くん。
梶君に関してはキャスティングされた佐野勇斗君が「完璧」である。もうこれ梶くんじゃない?ってくらいは梶くん。
ただこっちも梶くんの良さを引き出しすぎて完全に「萌え萌え」になっている。 なんだこのかわいい生き物?
そして実写映画版嘘喰いの魅力はこの二人の「絡み」によってかわいさが完成される。 二人がギャンブルに勝利し、シャァ!イェイ!みたいな感じで喜んでいるだけでめちゃくちゃにかわいい。
原作と比較して獏さんがすごくフレンドリーでいい人なので、この二人の絡みが異常に可愛くなっているのだ。
更に更に、ギャンブルを取り仕切る賄郎から派遣され、獏さんたちの勝負の立会人となる夜行妃古壱 通称夜行さんのキャスティングもかなりいい感じだ。
いい感じなのだがすごくちゃんと再現してくれてるせいかものすごく毛がフワフワしている。ヒゲもフワフワしていてとてもかわいい。
原作でも見せてくれるような柔和かつカッコイイ態度がしっかり再現されているのだが、おかげでもうフワフワ髭のかわいいおじちゃんがとてもかわいい。
そんな夜行さんが獏さんの勝利宣言をして、獏さんと梶くんが一緒に喜ぶシーンなんて画面全部がかわいいもので埋まっている感じがする。
当然原作にも登場するマルコ(ロデム)も登場する。 マルコもかなりキャスティングがいい感じだ。そうそう、マルコってこんな感じだよねっていう。
そして原作を知ってる人なら当然知ってると思うがマルコも例に漏れず萌えキャラだ。 マルコはなんと原作にはない萌えシーンが入ってくる。もうなんかみんなで一緒にご飯を食べるシーンはめちゃくちゃかわいすぎてヤバイ。
そしてここは賛否両論ありそうな鞍馬蘭子。
そう!嘘喰いといえば…ヒロインの鞍馬蘭子でありまする! なわけはないだろ!!!!!
って原作ファンはなれる実写版で活躍シーンが増えている鞍馬蘭子である。(鞍馬蘭子がヒロインってマジかよってなる。俺もなる。)
鞍馬蘭子のシーンはとにかく「頼む…!変な方向に話が転がらないでくれ…!」と祈ることになるのだが、とりあえず映画では基本的に梶くんルートにいくので安心。
ただ蘭子もこれはこれでかわいいキャラに仕上がっている。もうなんか蘭子も加わってご飯を食べてるシーンはあまりにもかわいい。まぁ映画ではそこまで邪魔ではなかったので自分としてはアリではある。
原作はこんなかわいい感触ではないはずなのだけど、ある意味原作を知っているからこそ余計に来る「かわいさ」の良さがある。それが実写版嘘喰いの良さなのだ。
実写版嘘喰いの原作と全く違うポイント、佐田国一輝
恐らく実写映画の前情報でもわかる通り、最もわかりやすく別人となっているキャラが、三浦翔平演じる佐田国一輝だ。
原作だと本当にとにかく過激な愛国テロリストであり、見た目通り危険なやつといった感じである。
そんな佐田国は要するに「命を賭けるギャンブル」での相手として作中で向き合うキャラクターとしては「国の為ならば命は安い」とする「ギャンブルのためならば命を厭わない」とする獏さんと対比的に描かれる。
だからこそ、逆に表面的なキャラクター性とは裏腹に割と姑息な手が目立つというか、ある意味底の浅さが最終的に露呈するあたりが魅力的なキャラクターである。
それと対比して、映画の佐田国は実写版嘘喰いにおけるもう一人の主人公というべきか、しっかりとした「敵」としてラインが立てられている。
そして内情について語られるとなんだかんだ良い人みたいな感じであり、それなりに最終的に良いオチを貰える。
死に方も含めて本当に原作の佐田国とは明確に別モノだ。
ここは原作ファンとしてはやはり、「あのものすごくすっきりする佐田国の負け方も見たかった!」という気持ちは非常にあるし、そういった部分においては原作の「嘘喰い」における重要なラインである「命を賭ける危険なギャンブル」が映画では強く押し出されてないとも言える。
しかし、割と映画の佐田国も「まあこれはこれとして、ええんでない?」くらいになれるキャラ性をしている。
まあそもそも佐田国っていうキャラクター自体、そこまで要素を盛られたりしても大して困らないキャラというのもある。
良くも悪くも「アク」が抜かれている実写版嘘喰いの代表的なキャラクター。それが実写版佐田国一輝だといえるだろう。
良くも悪くも「アク」が抜かれている
ここまで語ってきて言えること、それは実写版嘘喰いはものすごーく「見やすい」作品だということだ。
キャラクターのクセが非常に原作より柔らかくなっており、損なわれてはいないものの確実に味付けは別物となっている。
そして映画自体のテンポが結構良いのですらすら見れる。 原作の嘘喰いはとても面白い作品であるが、ある意味ものすごくアクが強い作品だ。
故に、映画でそのアクが抜かれているというのは非常に賛否両論分かれるポイントと言えるだろう。
特に先ほども述べた「命を賭けるギャンブルとしてのキャラクター対比」が弱まっているのは、この映画の良いところであり悪いところだ。
嘘喰いの良さとは常に命を失う恐ろしさと裏腹に存在するスリルであり、だからこそそこに向かっていく獏さんの魅力が強まる。
映画ではしっかり命の駆け引き自体はあるものの、そこが重要視されてるかというと個人的には微妙なラインだ。
しかしだからこそ映画の獏さんは獏さんで魅力的な部分があり、ここは一長一短と言える。
誰にでも楽しみやすい、親しみやすい嘘喰い。良いか悪いかはあなた次第。
映画嘘喰い 明確によくなかった部分
個人的には実写嘘喰いには概ね満足なのだが、ここだけは不満があると語っておかねばならない。
それはとにかく「明らかに金がない!!!!!!!!!!!!!」
ということである。金が 金がない。 金が足りてない!
映像や演出、俳優の人たちにもかなりやる気が見受けられる。しかしそれでは隠し通せない安さがだいぶある。
ちょいちょい「うぉっ!画面が安い!」となってしまうのだが、みんなが頑張っているおかげでギリギリ見れるみたいな感触だ。
ロデムの戦闘シーンなんてめちゃくちゃ安い。安すぎてかわいい。でもすごい頑張ってる。 正直受け入れてあげたい。でもこれでドティ編の戦闘とかはあんまりやってほしくない。
そんな感じである。
しかし逆に言えばとにかく金が足りなそうなのをものすごいがんばってカバーしている映画とも言える。戦闘もかなり頑張っている。 ちゃんと映画でも存在している立会人の戦闘にはそれなりに満足できるアクションの良さがあった。
しかしながら明らかにそこに金をかけるような余裕があるような感じがあるとは言えない。
もし続編があるならばもっと予算を上げてほしいところであるが、逆に言えば嘘喰い前半の前半を映画化したからこそ このくらいの予算で映画化できたとも言えるかもしれない。
ストーリーの再構成部分について
実写映画において、漫画原作のストーリー再構成はつきものだ。嘘喰い実写版も前述の鞍馬蘭子を筆頭にだいぶ再構成されている。
カットされてる部分も多く、故に「命を賭けたやり取り」という過激でアクの強い原作の要素は弱まっているといえるだろう。
しかしながら、個人的には非常に評価できる再構成ではあったと思う。ちゃんと出ているキャラクター同士が絡み合い、最終的なギャンブル勝負に繋がってくる。(この時点ではあまり役割がまだないマルコは仕方ないのだが)
序盤のビル脱出勝負なんかは森での勝負になっているのだが、正直ハッタリ度合いとしては原作もこの程度はよくやりそうなやつと言えるだろう。
また、ロデム(マルコ)が森で飼われているような扱いなのも、それなりに納得感がある。
全体的な構成自体はそこまで変わってない、故に誰でも見やすいお手軽嘘喰いみたいな感じになっている。
原作嘘喰いを読んだ人ならそれなりに関心できる作りとなっているだろう。
逆に言えば「死と隣り合わせのギャンブル」という文脈部分については原作特有の良さとなり、映画から入ったファンは原作を違った形で楽しめるかもしれない。
まあ割と手堅い実写化というのが個人的な評価だ。
しかし佐田国の話については好みがわかれるだろう。言うなればよくいうところの「人間ドラマ」的要素として佐田国は再構成されている。
しかし言うほどこの映画単体では佐田国の要素はノイジーとも言い辛い。 原作ファンとしては佐田国のキャラ性が変化して残念というくらいである。
また、とにかくやはりこの映画はテンポがいい。全然ストレスがない。話がポンポン進む。
ここは再構成された結果として良かった部分であり、無理せずにストーリーを回したのが良い結果となった部分といえる。映画を見たときは本当にすがすがしい気分で終われたところはあった。
でもやっぱり原作が好き
実写版を結構満足したぜ!とは語りながらも、やっぱり嘘喰いにおける大事なエピソードの多くが欠けているのは認めざるを得ないのが実写版だ。(映画なので尺的にもテンポ的にも仕方がないことであるが、それが許せない人も当然いるだろう。)
実写版で仮に原作読者が増えるならばそれは本当に素晴らしいことである。
是非、是非原作を読んでもらいたい。
おっ… なんと原作嘘喰いが2022年2月20日まで隣のヤングジャンプで10巻分読めちゃうらしいぞ!!!
嘘喰いと賭郎立会人 (ヤングジャンプコミックス) | 迫 稔雄 |本 | 通販 | Amazon
しかも「嘘喰いと立会人」なるスピンオフまで最近発売しているらしい。
更に嘘喰い原作者が現在連載中の漫画、「バトゥーキ」も2022年2月20日まで11巻分無料だ!
さぁみんなも読もう嘘喰い!
ということで宣伝でした。 良い映画でした。
MUTEKING THE DANCING HERO 要素解説と考察
2021年秋アニメとして放送されたMUTEKING THE DANCING HERO、この作品については本編内で説明されなかった要素が多く存在する。
この本編内で解説されなかった要素について公式から言及があったのはサトウユーゾー監督のツイッター、MUTEKINGのニコニコ生放送による公式解説と、MUTEKING Super Hyper LIVE内でのファンからの質疑応答のみだと今のところは把握している。
この記事では基本的にニコニコ生放送にて公式より言及のあった部分を紹介しつつ、MUTEKINGの各要素について考察していく。
- ・オクティアンはタコベイダー型宇宙人である。
- ・オクティアンは映像空間を創出することができる。
- ・セオとヴィヴィ姉は共に地球を侵略するために訪れた。
- ・最終回においてセオが説得されるシーンの背景のウユニ塩湖のような場所は、オクティンク星(セオやヴィヴィの故郷)である
- ・ミラーボールはシリアス玉や救援玉のオマージュ
- ・黒墨について
- ・サラとレジスタンスについて
- ・DJのラジカセは善ダコから生成されている
- ・最終回のラストにおける「誰かの美化された記憶」
- ・公式インタビューを踏まえたMUTEKINGという作品について
・オクティアンはタコベイダー型宇宙人である。
タコベイダーとは前作、とんでも戦士ムテキングに登場するタコローやクロダコブラザーズの種族名である。元ネタは恐らく80年代に流行したインベーダーゲームから。
タコベイダーには設定として「邪悪の心を持つと黒くなる」というのが存在し、MUTEKINGの作中でもヴィヴィ姉やDJが悪ダコ細胞に蝕まれた際に実際に黒くなっている描写が見られる。
・オクティアンは映像空間を創出することができる。
オクティアンは自身で映像空間を創出する能力が存在し、ムテキングやオーロラのダンス空間もそれらを応用したものとされる。(ここも公式で言及されている)
作中でヴィヴィ姉の過去を振り返るシーンでもヴィヴィ姉によりこの能力が使われていると思われる。
・セオとヴィヴィ姉は共に地球を侵略するために訪れた。
セオとヴィヴィ姉は地球に侵略の為に訪れ、ヴィヴィ姉は人間界に同化し、セオを裏切ったと公式言及されている。
セオの作中での目的は「人間を黒墨に変え、それを利用したコンピューターを創り出すこと」であったが、それがセオとヴィヴィの元々共通の目的だったのかまでは謎である。
・最終回においてセオが説得されるシーンの背景のウユニ塩湖のような場所は、オクティンク星(セオやヴィヴィの故郷)である
最終回でのムテキングVSムテキングブラックの戦闘において、「スーパーハイパービーム」を受けた後のセオはムテキングにより創り出された映像空間だと知らずに逃げている姿が描かれており(公式言及された部分)
ミラーハウス等もムテキングにより創り出されたものである。その後、ウユニ塩湖のような世界での会話が行われるが、あのシーンはオクティンク星(セオやヴィヴィ姉の故郷)だと言及されている。
・ミラーボールはシリアス玉や救援玉のオマージュ
ミラーボールはMUTEKING作中においてはヴィヴィ姉が4兄弟の親から譲りうけたものとされ、作中でミラームテキングを生み出す等多くの活躍をしている。
公式からの言及で、ヴィヴィ姉の過去のシーンにおいてミラーボールを使うシーンにおいて「シリアス玉的な…」と触れられていた。(画像を用意できず申し訳ない)
シリアス玉、救援玉はとんでも戦士ムテキングにおける形勢逆転のために支援メカであるホットケソーサーが発射するもので、シリアス玉はムテキングを現実とは違った世界で戦う際の映像を投影するようなものとして扱われており、MUTEKINGにおけるオクティアンの映像創出技術の元ネタと考えられる。
救援玉は後半でシリアス玉のストックがなくなったために用いられるもので、形勢逆転のために用いられるものとなっている。
ミラーボールは他にも公式言及において「ミラーボールはそれを持った者に見たい映像を投影する」ともされ、MUTEKING作中で4兄弟がミラーボールをヴィヴィ姉から託された際にとんでも戦士ムテキングの時代の映像を投影している。
ミラームテキングにより映し出されたオクティンク星のシーンでは、もしかしたらセオの心のうちにあるものであり、セオの故郷を映し出していたのかもしれない。
・黒墨について
公式からの言及から、
「人間が悪ダコ細胞を摂取し、オーロラの音楽を聴くと黒墨になってしまう」
「黒墨になった人間が元に戻る術は基本的に存在しない」
「モンスターは悪ダコ細胞が人間を分解した結果発生するもので、セオの元に黒墨を運ぶ」
「黒墨に完全に浸かってしまうと、その場合も黒墨になってしまう」
「黒墨はニンジャーズの素材である」
と語られている。
なお、作中でトミーが黒墨に浮かんだ時に「どうやら浮かんでいるとセーフ」とも公式からの言及が行われている。
黒墨にされた人々にはまだ意識が存在しており、11話でムテキとDJが黒墨に取り込まれた結果人々の意識が活性化し、アイダさんへ人々の思いが届いたと公式で言及されている。
・サラとレジスタンスについて
サラ(ムテキの祖母)は初代ムテキングである遊木リンの娘であり、サラと関わりのある人物は基本的にオクティングの企みに対するレジスタンスであると公式で言及されている。
少なくともオーウェン、アン、マット、トミー、ステキングはレジスタンスの一員であると考えられる。
・DJのラジカセは善ダコから生成されている
ムテキングの映像空間や変身の際の演出がラジカセから行われるのもこのためだと思われる。
最終回で、ラジカセが悪ダコによって破壊されてしまったためにラジカセが流せなくなってしまったと公式で言及されている。
・最終回のラストにおける「誰かの美化された記憶」
言うまでもない部分ではあるが、MUTEKING第一話のわたせせいぞうオマージュ的なキャラクターデザインのシーンはアイダさん目線での美化された映像と作中で言及されている。
最終回での映像もアイダさんの目線であるといえるだろう。
ちなみに、オクティングのタワーが立っていたアルカトラズには遊園地が建設されつつあることが提示されている。
・公式インタビューを踏まえたMUTEKINGという作品について
MUTEKING THE Dancing HEROは、「とんでも戦士ムテキング」を踏まえた作品として作られ、その過程で「80年代シティポップ」等のカルチャーを振り返った作品であることは明確であり、上記のインタビューでもそこについて触れられている。
ポップカルチャーや過去作等の再評価が近年は行われており、2018年にはレディ・プレイヤー1等でそういった80年代大衆文化オマージュが行われ人気を博し、日本ではTM NETWORK等の再評価等が35周年記念の2019年に話題となった。
タツノコはそれらの80年代を良くも悪くも引きずった作品を輩出しているアニメ制作会社であり、現在も続く人気シリーズであるプリティーリズムシリーズはそれが色濃く出ているシリーズでもある。
MUTEKINGという作品はそれらの80年代カルチャーを踏まえた作品作りをするにあたって非常に「一貫性」の高い作品であるといえ、作中でも80年代オマージュ的要素が多く見られる。
特にヴィヴィ姉はそれらのごった煮のようなキャラであり、野球、歌手、ドラッグクイーン、そしてゲームセンター。
多くの文化の代表的キャラクターと言える。それらと対比的にセオという人物が配置されているといえるだろう。
MUTEKINGが描く世界観は新しくもあり古くもある。そういった世界観は確実にある文化の延長線上にあるからであり、それは日本の「アニメ」にも全体的に言えることだろう。多くの演出技法、シナリオ、作品構造は過去作を踏まえて作られ、そして新しいものを生み出していく。
今作で総監督を担当した高橋監督はボトムズやダグラムを創り出したレジェンド級監督と言える人物であるが、MUTEKINGにおいては高橋監督はあくまで「今の時代」のために絵コンテ以降は任せる形で、サトウユーゾー監督の手伝いをするくらいの感覚で関わっていた旨がインタビューにおいて語られている。
まさにMUTEKING THE Dancing HEROという作品もそれそのもので、現在を生きるヒーローであるムテキとDJはムテキングという過去作の延長線上に立ちながらも、自分たちらしさで戦い、未来に向かっていく。
過去の歴史をリスペクトし、新しい歴史を創り出す。そういったアニメ作りをするタツノコのアニメとして、MUTEKINGはそういった姿勢を象徴するようなアニメであったと自分は思う。
公式インタビューはMUTEKINGという作品が持つテーマ性やリスペクトの姿勢がよくわかるものとなっているので考察などにおいて非常におすすめなので、是非チェックしてほしい。
「そんなに急いでどこに向かってるの?」
「完璧な世界だ…!欲しいものがどんどん手に入る。便利なサービスに囲まれて…世界中が熱狂している! 違うか?ムテキング!」
「そうかもしれないね。」
「だろう?」
「でも、わかったんだ。答えは一つじゃないって。」
『千歳くんはラムネ瓶のなか』を読んだ感想
割とアレな感情を持って臨んだので、正直こう偏った感想の可能性は多々あるとは思いつつ「小学館ライトノベル賞」を貰った作品である「千歳くんはラムネ瓶のなか」の1巻の感想をまとめました。
まとめたとは言ってもいつも通り書きなぐりという形なので、読みにくかったら申し訳ない。
・作品の構造について
この「千歳くんはラムネ瓶のなか」という作品はある意味で非常に綱渡り的な作品として作られていると感じた。
主人公の千歳朔(ちとせさく)視点でこの作品は進んでいき、『カーストのトップにいるうざったい陽キャ』というステレオタイプ的なキャラクター像を印象付ける形で作中で常に描かれている。
なので読んでいて読者はこの主人公に対してあまり良い印象を最初は持たないように作られているといえるし、そういった部分で読者にかなり「ストレス」をわざとかけている作品といえると思う。
しかし、それに伴って千歳朔は「ヒーローになろうとしている人物」という面が描かれ、また本人の中にそういった陽キャ的振る舞いを冷笑したり、陽キャや陰キャといったような「レッテル」を常に憎悪する感情が見え隠れしている。
読んでいくうちに、この主人公に対して最初は持っている「反抗心」がそのまま千歳朔という人物の内面とシンクロするように作られていると考える。
これがこの作品の肝とも言える部分であり、この作品はかなりここの手法が上手い作品だ。
少しでも千歳朔という人物に対して論理的思考を持って反論をしようと会考えたり反抗心を持つと、作中である程度そこが自覚的であることが判明する。これをある程度の周期で繰り返すような形でこの作品の論理展開は進んでいく。
ちょっとしたDVのような構造だが、ストレスをかける 解放するの構造はまさにそこをくみ取れた場合は小さいカタルシスの積み重ねとして機能するものと言える。
また、この作品は常に仮想敵のような存在をストーリー中で仄めかす。「陰キャのなりあがり物語」だとかそういう形でラノベ作品をバカにして、そのうえで一般的小説(とされるもの)を上げる等、読んでいる人間でライトノベル作品の多くを読んでいる人間ならばこの時点で反抗心を感じるだろう。
だがこの作品は「陽キャが引きこもりのキャラクター(山崎健太)を救う」というメインラインを見せつつ、同時に山崎健太というもう一人の主人公の「陰キャのなりあがり物語」であること最終的に提示する構造となっている。
仮想敵をほのめかしつつ、実はこの作品はそれをも内包し、肯定している作品だというのが最終的に提示される、先ほども言った通り、読者の感情を上手に揺さぶっている作品といえる。
ここのストレスコントロールを1巻全体で行っているため、例えばこの作品を最初の数文だけ読む形だと「ストレス部分」だけを受け取る形になるところがあり、そういったのが辛い人には辛い作品といえるだろう。
同時にこの作品のそういった手つきが好きではないという人は確実に存在するだろうし、そういったことも視野に踏まえて作られている作品だと思う。
故に、この作品は常に「主人公や作中キャラが嫌われること」も踏まえた綱渡りな作品だと自分は感じる。
・千歳朔で描くヒーロー観
この作品が語るものの一つ、それは「ヒーロー」の概念である。
作中で千歳朔は常に「スーパーヒーロー」と呼ばれたり、自身をヒーローだと名乗るシーンもあり、それは表面的には非常に薄っぺらいものに映る。
しかし、千歳朔のあこがれる存在として登場する「西野明日風」との馴れ初めについてで、千歳朔の持つ、目標とする「ヒーロー観」が描かれる。
誰をも傷つけずに誰かを救い、そして自身がヒーローであるとは思っていない人間、そういった行為を実際に千歳朔の目の前で見せた西野明日風こそが真に純粋たる「ヒーロー」である。
千歳朔はそれとはある種対照的であり、ヒーローになろうとして誰かの救いを見過ごせず、またその救いの過程では他者を傷つけてしまうこともしばしばである。
この千歳朔はそういった自身に内心自嘲気味で、またそういったリア充などの『型』に自らハマリにいっている、自分自身に自信がない、ある種「陰キャ」に近い人物であることが内面からは伺えるだろう。
一番最初に描かれる「リア充、陽キャの完璧さ」に対して、千歳朔は非常に不安定であり、不完全で泥臭いもがき方をしている人物であり、そういった朔は、作中で救われた人物にとっては「ヒーローである」というのは作中キャラたちの言葉から何気なくとも伝わってくるものであるだろう。
この作品はそういった「ヒーロー」を描くのが一つのラインとして構成されている。
また、この作品のオチとしてそういったヒーローとなろうとした朔に対して救いとなるのは「救った相手の一歩」であること、それは朔にとってはある種の「ヒーロー」の一人として映っているといえるかもしれない。
・それらを踏まえてダイレクトめの感想として
まず本当に読んでいて辛い作品だったというのは間違いない。
この作品で言うところの「陰キャ」という類型に自分が入るのかはわからないが、やはり個人的感情として陽キャというキャラクターを非常に強く現わした文体、強い言葉(陰キャに代表されるようなレッテル貼り、ヤリチン糞野郎等のかなり攻撃的ワード)で読者に負担をあたえ引っ張っていく構造等は、負担が大きかった。
同時にこの作品は非常に文章としては読みやすく、「上手な作品」であることでそういった負担の中でも読み進めていけたと思う。
あまりそういった部分を言語化できるような身でないので申し訳ないが、本当にテンポよく読み進められるように作られており、作中で提示される文脈もしっかり最終的に着地するようにできており ちゃんとしてんな~っていう感想が出る。
しかしこの作品は「ちゃんとしている」からこそ、危うい部分が上手に押し隠されているように感じたのも個人的にはある。
例えばこの作品における「引きこもり」については恋愛が原因の一つであったが、実際の世の中における「引きこもり」はこのような定型ではないだろうし、そして「オタク」の描かれ方や「陰キャ」の描かれ方もかなり極端だ。
ここについてこの作品は恐らく自覚的に描いており、またそういった「属性的なレッテル」について常に批判的であり、そういった定型に分類されないということは踏まえて描いていると自分は思う。
しかしこういった部分は「自覚的」だからといって必ず許されるといったものではないと思う。
もちろん、許されるか許されないかで作品の評価や良さが決まるわけではないが、仮想敵として描かれる以上この作品の描く『偏見』は攻撃的なものだと思う。
そういった批判を受けることを考えているのであろうとは思うが、そこが個人的には作品を読むうえでノイジーであると感じた。
このノイジーさはこの作品の弱点であるというのは、先ほどの綱渡りの話でも提示した通りである。
他にも「禁煙の場所でタバコを吸うこと」や「ノーヘル二人乗り」等の行為がこの作品における「出る杭」として提示され、「それを嬉々として打つ、石を投げる人間」という形でこの作品の仮想敵的に描かれる(ように自分は読んでしまった)のもノイジーである。
ルールから逸脱する行為を当然のようにすることもまた、嬉々として石を投げる人間と同じようにモラルが求められるものではないか?いうのが自分の中では気になってしまった、
そういったノイジーさや危うさがまた、「上手な作品故に引っかかり辛いかもしれない」というのは個人的に危うさとして映る。
この作品でいうところの「揚げ足取り」に近い行為かもしれないが、この作品とある程度真摯に向き合ったうえでダイレクトに持った感想、感情として書いておきたいと感じた。
総じてこの作品は非常に優れており、賞に選ばれるのも本当に納得するものである。構造が非常に上手である。本当に褒められる作品である。
自分はこの作品がかなり好みである!とは言い難いが、この1巻だけでも他人が何らかの形で読んだ感想というのは興味が出る一作である。
読んでよかったです。