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『千歳くんはラムネ瓶のなか』を読んだ感想

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ガガガ文庫 千歳君はラムネ瓶のなか より



割とアレな感情を持って臨んだので、正直こう偏った感想の可能性は多々あるとは思いつつ「小学館ライトノベル賞」を貰った作品である「千歳くんはラムネ瓶のなか」の1巻の感想をまとめました。

 まとめたとは言ってもいつも通り書きなぐりという形なので、読みにくかったら申し訳ない。

 

 

・作品の構造について

 この「千歳くんはラムネ瓶のなか」という作品はある意味で非常に綱渡り的な作品として作られていると感じた。

 主人公の千歳朔(ちとせさく)視点でこの作品は進んでいき、『カーストのトップにいるうざったい陽キャ』というステレオタイプ的なキャラクター像を印象付ける形で作中で常に描かれている。

 なので読んでいて読者はこの主人公に対してあまり良い印象を最初は持たないように作られているといえるし、そういった部分で読者にかなり「ストレス」をわざとかけている作品といえると思う。

 しかし、それに伴って千歳朔は「ヒーローになろうとしている人物」という面が描かれ、また本人の中にそういった陽キャ的振る舞いを冷笑したり、陽キャ陰キャといったような「レッテル」を常に憎悪する感情が見え隠れしている。

 読んでいくうちに、この主人公に対して最初は持っている「反抗心」がそのまま千歳朔という人物の内面とシンクロするように作られていると考える。

 これがこの作品の肝とも言える部分であり、この作品はかなりここの手法が上手い作品だ。

 少しでも千歳朔という人物に対して論理的思考を持って反論をしようと会考えたり反抗心を持つと、作中である程度そこが自覚的であることが判明する。これをある程度の周期で繰り返すような形でこの作品の論理展開は進んでいく。

 ちょっとしたDVのような構造だが、ストレスをかける 解放するの構造はまさにそこをくみ取れた場合は小さいカタルシスの積み重ねとして機能するものと言える。

 また、この作品は常に仮想敵のような存在をストーリー中で仄めかす。「陰キャのなりあがり物語」だとかそういう形でラノベ作品をバカにして、そのうえで一般的小説(とされるもの)を上げる等、読んでいる人間でライトノベル作品の多くを読んでいる人間ならばこの時点で反抗心を感じるだろう。

 だがこの作品は「陽キャが引きこもりのキャラクター(山崎健太)を救う」というメインラインを見せつつ、同時に山崎健太というもう一人の主人公の「陰キャのなりあがり物語」であること最終的に提示する構造となっている。

 仮想敵をほのめかしつつ、実はこの作品はそれをも内包し、肯定している作品だというのが最終的に提示される、先ほども言った通り、読者の感情を上手に揺さぶっている作品といえる。

 ここのストレスコントロールを1巻全体で行っているため、例えばこの作品を最初の数文だけ読む形だと「ストレス部分」だけを受け取る形になるところがあり、そういったのが辛い人には辛い作品といえるだろう。

 同時にこの作品のそういった手つきが好きではないという人は確実に存在するだろうし、そういったことも視野に踏まえて作られている作品だと思う。

 故に、この作品は常に「主人公や作中キャラが嫌われること」も踏まえた綱渡りな作品だと自分は感じる。

 

・千歳朔で描くヒーロー観

 この作品が語るものの一つ、それは「ヒーロー」の概念である。

 作中で千歳朔は常に「スーパーヒーロー」と呼ばれたり、自身をヒーローだと名乗るシーンもあり、それは表面的には非常に薄っぺらいものに映る。

 しかし、千歳朔のあこがれる存在として登場する「西野明日風」との馴れ初めについてで、千歳朔の持つ、目標とする「ヒーロー観」が描かれる。

 誰をも傷つけずに誰かを救い、そして自身がヒーローであるとは思っていない人間、そういった行為を実際に千歳朔の目の前で見せた西野明日風こそが真に純粋たる「ヒーロー」である。

千歳朔はそれとはある種対照的であり、ヒーローになろうとして誰かの救いを見過ごせず、またその救いの過程では他者を傷つけてしまうこともしばしばである。

 この千歳朔はそういった自身に内心自嘲気味で、またそういったリア充などの『型』に自らハマリにいっている、自分自身に自信がない、ある種「陰キャ」に近い人物であることが内面からは伺えるだろう。

 一番最初に描かれる「リア充陽キャの完璧さ」に対して、千歳朔は非常に不安定であり、不完全で泥臭いもがき方をしている人物であり、そういった朔は、作中で救われた人物にとっては「ヒーローである」というのは作中キャラたちの言葉から何気なくとも伝わってくるものであるだろう。

 この作品はそういった「ヒーロー」を描くのが一つのラインとして構成されている。

 また、この作品のオチとしてそういったヒーローとなろうとした朔に対して救いとなるのは「救った相手の一歩」であること、それは朔にとってはある種の「ヒーロー」の一人として映っているといえるかもしれない。

 

・それらを踏まえてダイレクトめの感想として

 まず本当に読んでいて辛い作品だったというのは間違いない。

 この作品で言うところの「陰キャ」という類型に自分が入るのかはわからないが、やはり個人的感情として陽キャというキャラクターを非常に強く現わした文体、強い言葉(陰キャに代表されるようなレッテル貼り、ヤリチン糞野郎等のかなり攻撃的ワード)で読者に負担をあたえ引っ張っていく構造等は、負担が大きかった。

 同時にこの作品は非常に文章としては読みやすく、「上手な作品」であることでそういった負担の中でも読み進めていけたと思う。

 あまりそういった部分を言語化できるような身でないので申し訳ないが、本当にテンポよく読み進められるように作られており、作中で提示される文脈もしっかり最終的に着地するようにできており ちゃんとしてんな~っていう感想が出る。

 しかしこの作品は「ちゃんとしている」からこそ、危うい部分が上手に押し隠されているように感じたのも個人的にはある。

 例えばこの作品における「引きこもり」については恋愛が原因の一つであったが、実際の世の中における「引きこもり」はこのような定型ではないだろうし、そして「オタク」の描かれ方や「陰キャ」の描かれ方もかなり極端だ。

 ここについてこの作品は恐らく自覚的に描いており、またそういった「属性的なレッテル」について常に批判的であり、そういった定型に分類されないということは踏まえて描いていると自分は思う。

 しかしこういった部分は「自覚的」だからといって必ず許されるといったものではないと思う。

 もちろん、許されるか許されないかで作品の評価や良さが決まるわけではないが、仮想敵として描かれる以上この作品の描く『偏見』は攻撃的なものだと思う。

 そういった批判を受けることを考えているのであろうとは思うが、そこが個人的には作品を読むうえでノイジーであると感じた。

 このノイジーさはこの作品の弱点であるというのは、先ほどの綱渡りの話でも提示した通りである。

 他にも「禁煙の場所でタバコを吸うこと」や「ノーヘル二人乗り」等の行為がこの作品における「出る杭」として提示され、「それを嬉々として打つ、石を投げる人間」という形でこの作品の仮想敵的に描かれる(ように自分は読んでしまった)のもノイジーである。

 ルールから逸脱する行為を当然のようにすることもまた、嬉々として石を投げる人間と同じようにモラルが求められるものではないか?いうのが自分の中では気になってしまった、

 そういったノイジーさや危うさがまた、「上手な作品故に引っかかり辛いかもしれない」というのは個人的に危うさとして映る。

 この作品でいうところの「揚げ足取り」に近い行為かもしれないが、この作品とある程度真摯に向き合ったうえでダイレクトに持った感想、感情として書いておきたいと感じた。

 総じてこの作品は非常に優れており、賞に選ばれるのも本当に納得するものである。構造が非常に上手である。本当に褒められる作品である。

 自分はこの作品がかなり好みである!とは言い難いが、この1巻だけでも他人が何らかの形で読んだ感想というのは興味が出る一作である。

 読んでよかったです。