ツイッターには書かない感想シリーズ
特段ツイッターにはあんま書かない感想をこっそり書くだけの記事です。
・ななどなどなどという作品について
この作品について個人的にかなり衝撃的だったのは『お嬢様』の表現である。
非常に身勝手かつステレオタイプな印象ではあるのだが、漫画の記号的『お嬢様』というのはオホホホ~って高飛車な笑い方をしながら少し抜けていて、そしてお嬢様らしさに対してなんかちょっと怠惰だったりガサツなところがありつつ、うちには頑張り屋なところを秘めていて… みたいな、そういうお嬢様観が近年は支持されつつまたバラエティ豊かに作品の主題となったりしている。(これは偏見でありそもそも漫画をあんまり普段から読んでるわけじゃない人の主観です。)
そしてこのななどなどなどの主人公である玉村小町も割とその例に漏れないキャラクター性を持つお嬢様キャラである。
お嬢様だから怠惰な面があったり、色々あってガサツな面があり、しかしそれに対して変なプライドを備えたお嬢様っぽい頑張り屋な面があったり…。
しかしこれらを踏まえたうえでななどなどなどが出してくる『お嬢様』の描写は個人的なお嬢様のレイヤーを一つ踏み越えたものがあったのだ。(もちろん、これは個人的な範囲であり、実際もっとたくさんの作品に触れてる人からすればそんなでもないかもしれないが)
例えば、小町が仲良くなった友達たちと共にショッピングに行ったとき、各々が学生らしく服を眺めてきゃぴきゃぴと話題に花を咲かせるのだが、小町は高飛車なことを言いながらも椅子にしばらく座りこんでいる。
その理由を聞かれた小町は「販売員がわたくしに似合う服を持ってくるのを待ってるのですが…?」と答えるのだ。
よくよく考えれば「そう」だわ!と自分の愚かさをここで感じてしまった。そう、自分の中のお嬢様観というのはここで「オーホホ…庶民の服が並んでますわ~!」「こんなものはゴミクズですわ~!」くらいの勢いの雑さなのだが(雑過ぎる)
小町はそもそも服を「選ぶ」ことなどしないのだ。しかもそもそも「買う」ことにすら困ってないのだ。服なんて吐いて捨てるほど家にある。ならばもはやそもそも「買う」という行為にそこまで大きな意味がないのだ。
そもそも服で競り合うこと自体に意味なんてないんだ!
ってことを自分は思いつけなかったのだ。仕方ないじゃん!ユニクロとしまむらくらいしか行ったことないファッションに興味ないマンだから!!!!!!!!!!!!!!!!
当然ながらそういう「経験からの差」というのは露骨に出てしまうものではあるが、こういう想像力の幅というのは見せつけられると落ち込むものである。
お嬢様の描き方ひとつですら大きく差が出てしまう、そういうのを常に感じさせるのがこの漫画~!
「ななどなどなど」なのだ。そんな感じで幅広い人物描写が様々な形で描かれるうえに、テンポよく読める良い作品だと思います。
こういった形での作品の感想というのは非常に言いたくない、最終的にはどうしても自分語り的なものと繋がっていくから。
というわけでこれはこちらの感想置き場送りとなりました。またこっちで書く日が来るかもね。
・ニチアサ以外もやってます
この作品にも漏れないのだが、きらら作品で自分が読む、見るタイプの作品は学生のキャラクターが何らかの形で漫画自体のテーマとなるモノを部活動その他モノモノ等で親睦を深めつつ自分の中の未来の方向性を定めていくものが多い。
自分の読んだ、アニメで見たものの範囲だと「ご注文はうさぎですか?」、「こみっくがーるず」、「ぼっち・ざ・ろっく!」…
まあ挙げればキリがないかも。
とにかくどれも未来に対してまっすぐに進んでいくものが多いのである。
誰しもにあるものではあるが、やはり自分の羨望していたものを他者が成し遂げる瞬間というのは負の感情を抱かざるを得ないものである。
そういった形で非常に自分はこれらの作品群に対して暗い気持ちを抱えることが多い。作品の面白さとは別に。
この作品を読んでいて何度自分もこうであったならばよかっただろう?と思えただろうか。「何者かになりたい」というのはインターネットにおいては危険な感情であり、これが暴走した結果様々な形で失敗する人々がインターネットでは余りあるまでに観測されてきた。
そういった何者かになりたいという己が制御していた感情、そこを揺さぶられる作品というのは非常に苦しいものなのだ。
何故この作品をそんなヘラヘラと眺められるのだろう と思う自分と、いや面白いな~wwwゲラゲラ… と笑っている自分が同時に存在している。
仮に今の自分が何かを成し遂げられた人間ならばこれを心の底からヘラヘラと楽しめたのだろうか?だが、それはきっと今の自分ではないのだろうし、そしてこの作品と出会えていたかどうかもわからない。
そしてこういった「自分に寄り過ぎた感情」というのは、もはやツイッター等で赤裸々に他者に見せられる「感想」などと呼べる代物ではないだろう。
そう思うからこそこちらに書かれるものとなる。
もしもあの時代、ビデオカメラなんか高価なものじゃなくてスマートフォンがあったら、もしも身近に使えるPCがあれば、もしも…
そんなくだらないことを反芻すると同時に、自分にも確実にできた時間を思い出してしまうのだ。
自分もこの漫画のように何かに感動できていれば、もっと動けていれば、自分に何らかの『障害』がなければ?
そんなことを考えて…。
だからこそ今はやはり今出来ることをやるしかないのだろう。そう思いなおしていくしかないのである。
こういう感情を出来れば吐き出してリセットしておきたい、そういう感情も含めてここに吐きだめておく。