せ ブログ

アニメを楽しく見てもらいたいです。

2021年アニメピックアップ 究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら

 2021年、令和に入ってから新たな年の幕開けとなり、まさに平成から令和にアニメの評価自体も移り変わり「今、令和だぞ?」という発言がアニメに対して飛び出す今日この頃。

 では例えば「令和らしいアニメ」とは?「平成から一歩進んだアニメ」とは何か?2021年、そういった評価に相応しいアニメは多く存在したといえる。

 そんな中で今回おすすめしたいアニメこそ「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」である。

 

『究極進化』が描く「本気」との向き合い

 「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」、略して本記事では以下「究極進化」と呼んでいくが、この作品の世界は既にフルダイブRPGが実用化され、ヘッドマウントディスプレイの時代を更に通過してなんか椅子型のフルダイブ機器によってゲームを楽しむことが出来る時代となり、そして更に超えて「もうフルダイブRPGは古い」と若干飽きられてしまっている世界が舞台である。

f:id:hate099:20210716175735j:plain

@究極進化した製作委員会

 主人公の結城宏は、とある事情からかつてやっていた陸上を辞め、現実に対して不満を持ちながらも半ばあきらめを感じる日々を送っていたが、とあるVRゲーム「極クエスト」と出会った(押し付けられた)ことで少しずつ彼の日常に変化が訪れるといったあらすじである。

 この作品のメインの舞台となる「極クエスト」ははっきり言って「全然遊びたくならないクソゲー」である。

 とにかくVRゲームなのにリアルを追求しており、ゲーム内のパラメーターは基本的に現実の肉体依存なので全然ゲームとして新しい誰かになれるとかそういったことはなく、モンスターと戦うにも一般人の非力な力では何一つ抵抗できないし、そのへんの町民にすら劣る。しかも痛覚とかは疑似的に用意されており、小指をぶつけるとかみたいなリアルな痛みも普通にくる。

 ゲーム的な美味しいイベントなども基本的には用意されておらず、「ゲームはプレイヤーを楽しませるもの」といった配慮は作中で一切見られない。

 そんなゲームをやらされる主人公は、ファンタジーの世界のリアル拷問に恐怖して失禁したり、そのへんのおっさん(別のプレイヤー)に陥れられたり、幼なじみのキャラを殺害した罪で追われる身となったり、とにかくロクなことがないそんな姿をコミカルに楽しむ作品となっている。

 更にこの作品のヒロインである如月玲於奈はそんな主人公を見て笑ったり酷い言葉を浴びせたりする。もう何も良いことがないこのゲーム。

 しかしそれでも主人公はこのゲームにキレ続けながらも必死にゲームと向き合って、『本気でゲームと向き合う』ということを段々理解していく。

 

 このゲームの世界では主人公は『プレイヤー』ではなく、確実にその世界に生きる一人の人間として扱われており、そしてそういった人間としてゲーム内のキャラクターたちとも本気で向き合っていく。

 それによってゲーム内のキャラクターたちもたとえAIだとしても、本気で主人公が向き合ったことで結果が伴ってくる。

 そう、この作品に大事なこと、それは『たとえゲームだとしても、真に本気で向き合うこと』なのだ。そしてそれはこの作品における「現実との付き合い方」とも繋がってくる。

 

 主人公はかつて陸上で様々なトラウマを背負ってしまい、そのまま陸上を辞めてしまった。そこにはかつて『本気』があったが、その本気はいつしか彼の中から消えてしまっていた。

 しかし、極クエストの世界で「本気で生きること」と再び向き合ったことで彼にとっての新しい「生きがい」であり「現実」が見つかるのである。

 

SAOへのアンサーソングとしての究極進化

 さて、現代におけるVRゲームモノの作品で最も著名といえばやはり「ソード・アートオンライン」だ。(個人的には)

 ソード・アート・オンライン(SAO)はアインクラッドという場所を舞台にしたVRMMO、「ソード・アート・オンライン」に閉じ込められ、死ぬと本当に死んでしまうというVRデスゲームを強いられる物語であるが、SAOにおいて重要なのは『VRゲームとはもう一つの世界である』という価値観である。

 主人公の桐ケ谷和人(キリトくん)は「VRMMOの世界を現実以上に世界として体感している」という特性をもっており、彼にとっては現実以上にVRMMOの世界の方がある意味で大事だ。

 SAOにおいてこの特性は非常に重要であり、「よりVRMMOの世界を真に感じることができる」ということが作品においては非常に軸として置かれ、故に「死んだら本当に死ぬVRMMOの世界」とは真にもう一つの世界として現実と並ぶ『世界』ということをSAOは示しているのである。

 そしてそんなキリトくんはつまり、VRMMOの世界を「現実以上に本気で受け止めている」人物と言えるのだ。

 なんだかSAOって変な作品じゃない?って思うかもしれないけど本当に変な作品なんだ。

 でもそんなVRゲームモノラノベ作品の現代における元祖のような扱いであるSAOを踏まえて『ゲームと本気で向き合うこと』をVRMMOにおいて持ち出す作品であるのが「究極進化」なのである。

 究極進化の極クエストは「ゲームで死んでも死なない」代わりにゲームハードがぶっ壊れてゲーム自体は最初からやり直しになってしまうという嫌な仕様があるのだが、

 そんなゲームに「本気で向き合う」ことはできるだろうか?全然人を楽しませようとはしてないし、ゲームとしては欠陥だらけのゲームであるし、そんなゲームと本気で向き合おう!という気には正直到底ならないだろう。

 そもそも一般的にはゲームにそこまで本気になることは普通はないし、別にゲームに本気になる必要なんてないし、ゲームって楽しむもんだし。

 しかしSAOが提示するのは「ゲームも現実もある意味で同じもう一つの世界であり、ゲームの世界で本気で生きることは現実で本気で生きるのと同意である」ということである。

 そしてこれを踏まえて『主人公がゲームに本気になっていくことで、現実でも本気で生きていくことを見つめなおす』というのを描いているのが究極進化なのだ。

 究極進化は明らかにSAOを踏まえて描かれており、SAOを非常によく理解した作品だと感じる。

 そもそもSAOにおける「ソード・アート・オンライン」なんてそれこそクソゲーと言える部類であり、強制的に参加させられて顔は強制的に現実の顔にされるし、死んだら死ぬし。

 ゲーム自体に適合しない人間や、絶望した人間は作中で自殺したりモンスターに殺されていたり初見殺しにやられたり本当にロクでもないことばかりである。

 しかしそれでも生きていかなければならない。それがSAOが提示する「現実」だ。

 究極進化の「極クエスト」も同様どころか別ベクトルで常に嫌なことが起きるし、思い通りにいかない。しかしだからこそ究極進化で「本気で向き合ったこと」は作中で無駄にはならず、そして主人公が現実と向き合い生きていく糧となっていく。

 「これはゲームであっても遊びではない」というSAOの売り文句を別ベクトルで描き、そして別ベクトルで掘り下げ、誰かの本気を肯定する作品。それが「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」なのだ。

 

 平成のVRモノの柱となったSAOにここまで真摯に向き合った作品である究極進化、「令和を代表するVRモノ」とまではいかずとも、令和の始まりを告げるにふさわしい平成VRモノへのリスペクトがこもった作品であると自分は思います。

 そういうわけで2021年を代表するんじゃないかな?なアニメのピックアップタイトルでした。