幼なじみが絶対負けないラブコメ1巻を読んだ
相変わらず備忘録的ですが自分用メモ的にも感想です。
アニメで「幼なじみが絶対負けないラブコメ」を見て気になって1巻を読んでみた感想となります。
・この作品のテーマは「スタートライン」に戻ること
「幼なじみが絶対負けないラブコメ」はそれぞれのキャラが最終的にマイナスを清算し、スタートラインに立ち戻ることが着地点となっている。
主人公の丸末晴は母親の死のトラウマでかつての人気子役の立場から役者の道を捨て、その過去に引きずられつつ現在に至っている。そして初恋の相手である可知白草にフラれたと一方的に思い込み、黒羽の提案から復讐のための計画を起こす。
ヒロインの一人である可知白草は初恋の相手に丸を持ち、かつての丸に裏切られたと思い込み、恋愛感情と同時に今の自分へ振り向かせて「フる」ことで裏切った丸を見返したい復讐心を持ち合わせている。
しかしそんな中で彼女は別の男性と付き合っていると勘違いされた情報が学校に広まってしまい、その誤解をどうにか丸本人が気づいて解くように画策する。
もう一人のヒロインである志田黒羽は丸とは古くから非常に距離感の近い人間であり、丸とは家族のような関係性すら持っている。
しかし、同時に丸を初恋を相手に持ち、物語が始まる前に丸に告白しているが、丸から「フラれて」いる。
黒羽は丸ではない男性を選んだ白草に嫉妬し、丸に白草への復讐を唆すと同時に、自分をフった丸への復讐を もといマルが自分を好きになるように画策している。
それぞれのキャラが、「子役の道をあきらめている」「フラれたと思い込んでいる」「フラれている」
等の「マイナスの要素を持つ状態」からスタートから始まっており、同時にこれらを「清算」することがこの物語の着地点である。
故に丸はクライマックスでかつての子役時代の代名詞であるチャイルドスターを舞台の上で踊り切って子役に立ち戻る。
白草は丸がかつて自分を裏切ったのではなかったのだと知り、そして丸に自分がかつての丸の友達である「シロー」であると告白する。
そして黒羽は丸から告白され、そしてそれを「フる」。
元々この作品のタイトルである「幼なじみが絶対負けないラブコメ」は「幼なじみは負ける法則」をメタってとったものであるが、この1巻のヒロインはお互いの幼なじみである。それは確かに「幼なじみが負けない構造」であるといえるだろう。
しかし同時に「幼なじみが負けない」を更に逆手にとって「幼なじみが勝たない」ラブコメに仕上げる。
この作品は「負ける幼なじみを勝たせる物語」ではなく、「幼なじみが負ける構造をメタった構造」自体をメタ的にギミックに利用した物語であることは明白である。
だからこそこの作品では「幼なじみ」という要素自体を特筆して押し出してはいない。それ以上に「負けない」ことを押し出している。
正直筆者はラブコメを特段読んでいるというわけではないのだが、ラブコメという構造自体へのメタ的な構造はラブコメが好きな人は興味深く感じられるのではないかな…と思う。それが目新しいかどうかは置いといて
・個人的に好きになったキャラの話
幼なじみが絶対負けないラブコメで個人的に気に入ったところの1つは主人公の丸の友達である「甲斐哲彦」である。
幼なじみが絶対負けないラブコメは3人のメインキャラが3角関係でそれぞれの恋愛模様を描くが、その中で狂言回し的なポジションに立っているのが哲彦である。
哲彦は女遊びが好きなイケメンであり、3股をかけたりしているのが既に一度バレた経験等があり女性からの評判はもっぱら悪い。しかしそれを悪びれもせず、主人公の恋愛関係を「面白いから」という理由で手を貸したり引っ掻き回したりする。
しかしその表面的な部分とは裏腹に彼は丸の身を案じ、かつての「子役」としての自信を取り戻してほしい…。
哲彦はこの作品のバランスを取り持つキャラクターであり、この作品のメイン軸となる「復讐」についても「幼稚」と言っていたり、丸に対しても辛らつな言葉を浴びせることで丸本人の「痛々しさ」がちゃんとギャグとして機能するようにしている。
この作品は丸視点で基本的に物語が進むが、読者はどちらかといえば哲郎に感情移入をすることで読み進めやすくなっているのではないかと思える。
彼はクズであり女性にだらしなく、丸に対しても辛辣だ。だからこそラブコメの滑稽さを客観的に見て、また同時にそれぞれのキャラの魅力を引き出すことが出来る立場。1巻においては「負けないキャラクター」なのだ。
もう一人好きなキャラが黒羽である。
主人公の丸の視点からは「容姿もかわいらしく、同時に人間として尊敬できる相手である長い付き合いの幼なじみ」として映っているが、
丸が気づいてない部分として彼女は常に天然な行為を装ったりして丸への独占欲を強調した動きをする。有体に言えば「腹黒」なキャラクターなのであるが、文章での丸視点では、丸が彼女が「腹黒」であると感じ取っているようには見えない。
だからこそ丸は自分が黒羽によって「復讐」に焚きつけられているとは気づいていない。むしろ自分自身がそこは決めたものであると受け取っている。
実際のところは、黒羽は白草への復讐を焚きつけると同時に丸を自分に振り向かせたうえで「フる」ことが目的なのだ。(それは物語のラストで明かされる事実ではあるが)
黒羽は腹黒的行為で丸が困るような行為を行ったりするのだが、丸は基本的に彼女のことを尊敬して真面目に向き合って動いているため、黒羽の行為は読者のストレスになるよりもエンタメに昇華されて、丸が他者と向き合ううえで真面目なキャラクターであることが強調されている。
黒羽はエピローグでの阿部先輩と哲彦の会話まで客観的に見て腹黒なキャラクターであることは言及されていない。
「そうしないとスタート地点に戻れなかったんだろうね。志田さんにはそういうところあるよね。凄く計算するけど、結構感情的なところがあって、貫徹できないっていうか」
出展:幼なじみが絶対に負けないラブコメ1巻 192ページ
彼女がこの作品ではギミック的かつエンタメ的に気持ちの良いディスコミュニケーション部分を生み出すキャラクターであり、「スタートラインに立ち戻る」ことの象徴的キャラクターなのだ。
・アニメとの比較
元々アニメから入った身でもあり、色々語ったが割と自分の1巻を読んだ目的はここである。
個人的にアニメと原作とで印象的だった違いを語って見たいと思う。
・告白祭の存在
原作ではプロローグ後に告白祭についての言及から物語が始まる。告白祭は文化祭の目玉イベントとして注目されており、おさまけにおいてはこの告白祭にイベントが収束していく作りになっている。
アニメで正直告白祭本体が始まった時は「え?後夜祭みたいなやつがメインなんだ…」と少し驚いてしまった。告白祭自体がセリフや映像で一応提示されるものの、視聴者としてはあまり印象的でないと同時に、文化祭のイベントとして提示されているため本命は「文化祭である」と思い込んでしまっていた。
1話の段階で告白祭はポスターによって提示されているものの、幼なじみが絶対負けないラブコメという作品を知らない人間からするとそこの部分がややわかりにくい提示だったのではないかと思う。
アニメでは基本的にキャラのセリフや映像での提示はよほど強調しなければ滑って流れて行ってしまうのだ。
・丸のトラウマについての示唆
原作において、丸が子役を辞めたことについて具体的に初めて触れられるのは阿部先輩との最初の会話である。
阿部先輩は丸が芸能界から引退したことについて触れ、その理由についてを問いただす過程で丸に対して「逃げた」という発言をする。
丸は自身が役者を辞めた理由についてを勝手に憶測を立てた発言をする阿部先輩に対して憤慨し、ここで初めて暴力的な行為に出る。
アニメではここの会話では丸が引退したこと以上に、白草との関係性についての話をメインに据えた会話となっている。丸本人は重大なトラウマを抉られるようなことはない。
丸がどれだけ役者であったことを引きずっているのかということに関しては2話でそのことについて明かされるまでは強く言及されないのだ。
ここは個人的に丸本人の掘り下げとしては細かい部分ではあるが印象が変わる部分ではないかなと思った。
・某ダンスについて
ダンスについて原作で触れられるのは白草の過去回想である。丸が演じたドラマのエンディングにて、ドラマの主人公の未来の姿の象徴としての「ニューくんダンス」が代名詞として流行したことが語られている。
その後、告白祭にて丸が乱入する際にダンスの詳しい説明が語られている形となっており、単純にやはりここでダンスすることに関しては違和感のない作りとなっている。
しかし、アニメではそもそもダンスまでの導線が非常に弱いといえる。
・白草の回想でドラマのダンスについて触れられないため、そもそもダンス自体が丸の子役としての存在と結びつかない。
・原作では黒羽は演技について「2つ」アドバイスをしているのだが、このうち1つがカットされていることによって「丸が2段階で変身することで演技を可能にする」という文脈が存在しないので、何故丸がダンスするシーンが演技に繋がるのかわからない。
・丸が舞台に立つまえに「2段階で変身する」シーンがないため、哲彦が客観的に見て丸が変化したことを提示するシーンも存在せず、演技とラストシーンのダンスが結び付かない。
等、とにかく丸がかつて人気子役であったこととチャイルドスターのダンスが悉く結びつかなくなってしまっている。
ここまでしっかりとカットされているということはそういった判断が行われたということなのだが、それにしてもわかりにくいというかそもそもわからなくなってしまっている。
ダンスの振り付けや作画がどうこうとは別ベクトルにも問題があった部分であると思う。
この中ではやはりダンスと演技の話についての文脈が結びついてないのは致命的なのではないかと思う。
反省会的な内容になってしまったが、アニメとの比較としては想像以上にアニメで抜けてしまった文脈が多かったとわかったのは1視聴者として少し残念な事実である。
しかしアニメのおかげでこの作品の原作に触れるきっかけとなったとも言え、決して良い出来であるとは言い切れないがアニメを見て良かったと自分は思う。
原作1巻以後を買っていくかはわからないが、今後も出来る限りアニメの視聴を続けていきたい。