2021年 印象に残ったシーンからアニメを振り返る記事
今年ももう少しで終わり、様々なアニメが2021年を駆け抜けていきましたね。
ということで、アニメ視聴者(自分の周辺)に印象的で擦られ続けているアニメのワンシーンから2021年を振り返っていこうと思う。
- EX-ARM エクスアーム
- マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd SEASON-覚醒前夜-
- ひぐらしのなく頃に卒
- 精霊幻想記
- 現実主義勇者の王国再建記
- SCARLET NEXUS
- 真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました
- 境界戦機
EX-ARM エクスアーム
EX-ARM(エクスアーム)は2030年の近未来を舞台に、超常的な能力を持つ兵器、「EX-ARM」となってしまった主人公「夏目アキラ」を中心に描かれるSFバトル作品である。
アニメはその2021年とは到底思えない映像で視聴者に注目され、話題を呼んだ。
この画像のシーンはかつて東京を崩壊させ、アキラが人間としての肉体を失ったきっかけを作った元凶、人類の敵である存在「β(ベータ)」との対決を行い、多くの闘いに決着をつけたアキラが、作中でようやく心から笑顔で笑うことができたという「人間らしさ」に着地する非常に重要なシーンである。
結構11話自体は非常にシリアスかつ感動的な回であり、エクスアーム本編を見続けた視聴者は素直に盛り上がっていたのだが、その最後の最後でアキラの本当に心からの笑顔が画面にフェードインしてきたので視聴者も思わず笑顔になってしまった。
2021年ではこれ以降、エクスアームの影響で「笑顔」のシーンはエクスアームの笑顔と比較されることが多くなり、またCGアニメもまずはエクスアームと比較されるような状況となっている。
2021年秋アニメにはCGアニメである「テスラノート」が放送されているが、お世辞にもものすごく良いCGアニメとは言い難いのだが、「殺陣がよくできている」「カメラに違和感がない」「表情がちゃんとあってかわいい」等でエクスアームと比較され評価されている。
2021年の始まりを告げたCGアニメとして歴史に残ったアニメと言えるだろう。
また、印象的といえばCMでエクスアームに提供を行っていたロイヤルリムジンも当時話題となった。
ちょいちょいエクスアーム本編にもロイヤルリムジンのピンククラウンが登場し、視聴者を沸かせていた。
「ロイヤルリムジンはエクスアームを応援しています。」
マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd SEASON-覚醒前夜-
「免停覚悟で飛ばすわよ!」
人々の生活を脅かす魔女と戦うために熾烈な運命に身を投じる物語である魔法少女まどか☆マギカ。そのソーシャルゲームであり外伝作品のアニメ化作品の2期が「マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝2nd SEASON -覚醒前夜-」(以下マギレコ)である。
このワンシーンはマギレコにおいて、魔法少女たちに勧誘をかける怪しい宗教的組織「マギウス」と戦う主人公たちのメンツの一人である「七海やちよ」が、敵陣に飛び込むために自身の車で正面突破をかけるシーンである。
免停覚悟で飛ばすわよ!と意気揚々と見滝原の原作キャラたちを乗せるやちよカーだが、アニメの制作が非常に危機的状況にあるためか明らかに法定速度以下のスピードで車が走らされているようにしか見えず、視聴者の笑いを誘った。
更にその後も「なんかSEが足りてない」「車の内部の大きさがカットごとに変化する」「明らかに足りてないカットがあるせいで何が起きているのかわからない」等が発生し、一時期のシャフトを思い出させる危機的な回だった。
しかしアニメとしての未完成的な映像の部分を除いてもやちよさんの車のシーンにおける展開や映像はシュールであり、そもそもやちよさんというキャラクター自体が視聴者にネタにされがちな人物だったため、多くの視聴者にネタにされファンアートが急増した。
やちよさんの隣の助手席に乗っているのがまどか☆マギカ本編での重要人物である「暁美ほむら」なのもちょっとした笑いどころである。
その後2021年のアニメにおいて車に乗っているシーンの度にやちよカーが貼られる事態が起きている。
2021年を代表する「車」のシーンと言ったらこのやちよカーを置いて他には存在しないだろう。
「許せない… もう許さない… マギウスも… あなたも!!!!!!」
ところで年末に最終章をやるらしいんですけど、ほんとにできるんですかね…。
ひぐらしのなく頃に卒
昭和時代の「雛見沢」という土地を舞台にした凄惨な物語を描く作品、「ひぐらしのなく頃に」の最新作である「ひぐらしのなく頃に卒」のワンシーン。
メインキャラである古手梨花をループに閉じ込め、凄惨な悲劇に捕らえ続けていたその元凶の北条沙都子との闘いのワンシーン。
2人は死んでもまた別の世界線にループするため、殺し合いをしながら別の世界線に飛び回っていく。
そんな2人の血みどろの戦闘を端的に表したワンシーンである。
この戦闘の後、更に物語は加速しものすごい戦闘になっていく意味でも印象的なシーンであり、まさにひぐらしのなく頃にの新シリーズの代表的な一幕と言えるだろう。
多くで賛否両論を呼んだ本作だが、「女の子二人が感情をぶつけ合って殴り合ってるのを映像化すると楽しい」という原初の感覚を思い出させ、またそれほどの強い感情のぶつけ合いを映像化する意味では非常に優れた作品であったといえる。
今年「シン・エヴァンゲリオン」が公開された意味でも、この令和に蘇ったひぐらしに相応しい勢いとラストを飾った意味で2021年に刻み込まれたアニメといえるだろう。
このほかにもとにかく面白いシーンが多いのでおすすめの作品である。
今日の部活はこのブルーレイを賭けて神経衰弱ですわよ!
精霊幻想記
精霊幻想記は不慮の事故で命を落とした少年「天川春人」は、異世界で「リオ」という少年として生まれ変わり、その世界で生きていく姿を描く異世界ファンタジー作品。
全体的にものすごいスピードで物語内の時間が経つことで印象的な精霊幻想記なのだが、最終回のラスト5分で突然の急展開、ものすごいテンポでストーリーが進み、そして前世の彼女と再会するというまさに「運命の再会」で物語は幕を閉じる。
このアニメは先ほども言った通りものすごい勢いで時間が経つことが印象的であり、気が付くと1話で3年くらい過ぎ去っていたりする。
そういった作風を代表するシーンともいえる最終回のテンポの速さは特筆すべきものがあり、特にこの作品全体から見てもあまりにもテンポが速いためキャラクターの動きもものすごい速くなっている。
スババババ!とものすごい速度でならず者をぶった切るリオのシーンのシュールさは必見である。
また精霊幻想記といえばヒロインであるセリア先生のかわいさ、そして何と言っても作中で効果的に使われるED、「Elder Flower」が印象的だ。
Elder Flowerは物語の引きで流れるため、作中で妙にNTR(寝取られ)っぽい展開が多いこの作品からとって「NTRの曲」と呼ばわれている。
ちなみに精霊幻想記はTVアニメ2期制作が既に決定しており、記念に第3話のエンディングが公式で公開されている。君もElder Flowerを聴いて精霊幻想記2期に備えよう。
2期制作決定をどういう気持ちで祝えばいいのかわからないセリア先生との別れを振り返る第3話ED
現実主義勇者の王国再建記
現実主義勇者の王国再建記(現国)は主人公、「相馬一也(ソーマ・カズヤ)」が異世界に召喚され、その召喚された異世界の国王となり、エルフリーデン王国を再建していくこととなる物語である。
ソーマは様々な現代の知識を活かして、王国の食料自給率の問題をモンスター食や昆虫食などで解決する案を提示したり、整地や灌漑を進め、不正会計や貴族の腐敗も正していく。
この画像のワンシーンは作中に登場する「ゲオルグ・カーマイン」であり、エルフリーデン王国の陸軍を預かる人物であり、ソーマが王位を継いでから、ソーマの追放した不正貴族を匿う等で敵対的な行動を見せている人物であった。
しかし、実はそれらの行動は不正貴族たちを一つの場所に集め、自らを犠牲に反逆者として貴族たちを一網打尽にする計画だったことが明かされる。
そんな彼がソーマの力量を信じ、彼によって追い詰められ計画通りに不正貴族たちを一網打尽にした後、酒を片手にソーマを祝福しているシーンである。
本編視聴者からは「酒を貰って喜んでる」みたいなシーンとして専ら使われることが多く、シュールなシーンとしてお酒を飲む前にこの画像を貼ったりして使われている。
また、このほかにも非常にシュールなワンシーンが多く、現実主義勇者の王国再建は非常におすすめの一作であることに間違いはない。
作中での物語も王国再建を謳って様々なバラエティ豊かなエピソードで描かれるので、飽きが少なくおすすめだ。アニメは変なところで話が急に終わったり、OPとEDがすごいシュールだけど。
しかし本作は元々FOD独占配信の作品であり、非常に配信サイトが限られているのがネックである。もしFODに入っている人がいれば興味があれば見ていただきたい。
また2022年1月より2期が放送されるのが決定している。現国2期視聴を決めるなんて、あなたってすごく現実主義なのね。
SCARLET NEXUS
「俺を殺してくれ!!!!!!!!世界を救うためにィ!!!!!!未来を救うためにィイイ~!!!!!!!!」
SCARLET NEXUS(スカネク)はバンダイナムコエンターテイメントから発売されたアクションRPGであり、本作はそのアニメ化作品である。
人間の脳を狙う怪物「怪異」と超脳力を使う主人公たちの闘いの最中で、陰謀渦巻く世界の真実を解き明かしていく物語である。
スカネク6話は物語の大きな謎の一端が語られる回であり、超脳力の影響で別の世界線に飛んでしまった主人公の一人、「カサネ・ランドール」は、荒廃した未来の世界で一人生き残ったもう一人の主人公「ユイト・スメラギ」と出会う。
ユイトは多くの人を犠牲にして生き残ってしまったこと、そして自身が生きている限り、世界に必ず破滅が訪れることを告げ、自分が死ぬ姿を見せてショックを与え、カサネを元の世界に戻す。
そして死ぬ間際にユイトは元の世界、時間に戻るカサネに世界を未来を救うために過去の自分を殺すことを頼むのだった…。
ものすごい重要なシーンであり、ものすごいシリアスかつ悲しいシーンであり、涙を流す未来のユイトからはかつての幼げな面影を感じさせる素晴らしい作画である。
しかしその迫真の作画と迫真の声優の演技、そして当時はまだ状況が全く理解できてないままその迫真の勢いに呑まれた視聴者はカサネと共に強いインパクトを受け、このシーンが妙に印象的に残り、スカネク視聴者にはずっと擦られ続けている。
更に本編でもこのシーンはリフレインするシーンが多く、リフレインすること自体は何もおかしくはないのだが何度も何度もやるためにより視聴者に印象を与えたシーンと言える。
いわゆるシリアスな笑いに該当するであろうシーンとしては特筆すべきものがあり、この回をスカネク本編をある程度進んだ後に見返すと重要な事態が裏で折り重なっている意味でも印象的な回である。
メインキャラクターでさえも割かし信頼できない世界観である序盤のスカネクの状況で、「いつからこんな世界に嫌気が差して…」という歌詞が印象的で「そりゃ嫌だろ!!」と視聴者に語られたことで印象的なOPもおすすめ。
2期もOP、ED共に良いものとなっているので是非本編と合わせてチェックしてほしい。ゲームの方は筆者は全く触れてないのだが、実際ゲームとして面白いらしいので要チェックだ。
真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました
「真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました。」(真の仲間)は大体タイトル通りの内容で、主人公のギデオンは勇者のパーティーの一人であり魔王を倒すために勇者である妹のルーティー達と旅をしていたが、パーティーメンバーの一人、賢者であるアレスからパーティーを追い出され、「レッド」に名を変えて辺境でスローライフを始める物語である。
しかしその辺境で過ごす中でも様々なトラブルに見舞われ、レッドは事件を解決しつつ、かつての闘いから離れた日常を大切に過ごしていく。
そんな物語の最中で、レッドことギデオンが去った勇者パーティー側も定期的に並行して描かれるのだが、勇者パーティーはギデオンを失ったことで勇者であるルーティは兄を失ったことへの不満を感じており、また手が足りなくなった結果追い出した本人であるアレスも様々な苦労に見舞われている。
そしてそんな最中でルーティはアレスからギデオンがパーティを抜けた報告を受け、更に無用なボディタッチをしてきたアレスを思わずパンチしてしまう。
その一幕がこのワンシーンである。
アレスはほぼ即死状態であり、この後ルーティによって蘇生させられる姿に視聴者の多くが笑いと涙を禁じえなかった。
真の仲間という作品において、ヒロインであるリットの魅力的なシーンが多いのだが、それに相対してギデオンを嫉妬心から追放したが多くのシーンで逆にギデオンを求めてしまう自分に気づくアレスが非常に魅力的であり、視聴者からは第二のヒロインのような扱いを受けている。
君も真の仲間を見てかわいそうな賢者、アレスの姿を楽しむ真の仲間に加わろう!
ちなみに真の仲間はdアニメストア限定配信である。月額440円でなんと4400作品以上が見放題のアニメオタクには必須と言っても過言ではない素晴らしいサイトなので、まだ入ってない人は是非入ろう。おすすめです。
境界戦機
「オセアニア軍が攻めてきたぞ!!!!!」
境界戦機は西暦2061年、経済政策の失敗や少子高齢化等様々な理由が重なって破綻した日本に対し、「北米同盟」「大ユーラシア連邦」「アジア自由貿易協商」「オセアニア連合」の4つの世界主要経済圏が介入し、日本列島内で4つの国による国境が敷かれ、戦闘が勃発し、最終的に事実上の分割統治に至った日本を舞台に描かれるロボットアニメである。
主人公の椎葉アモウは通信制高校に通う16歳の少年だったが、ある廃工場で見つけた「メイレスケンブ」というこの世界の無人ロボット兵器であるAMAIM(アメイン)とは違った形の人型ロボットを趣味で組み立てており、そんな折に出会ったAIの「ガイ」と出会ったことで彼の運命は大きく変わっていくことになる。
第6話ではアモウが八咫烏というレジスタンスと出会い、そして八咫烏の本拠地に向かう旅路の最中で立ち寄った街でのエピソードとなっている。
街はアジア軍占領下であり、どうやら海岸沿いで輸送船での輸出入も行っているようだが、そこに接岸した大型の船からオセアニア軍の兵器が現れ、不意を突かれたアジア軍兵士が「オセアニア軍が攻めてきたぞ!!!!!」と大きな声で伝えるワンシーンである。
この前の話数でアジア軍は日本人への不正な弾圧を行っていたことをアモウたちによって武力的に糾弾、更にその事実を世界的に発信されており、その結果6話においてオセアニア軍に隙を突かれて攻撃されるに至っている。
しかしアモウたちによってそれだけの影響を受け、更に世界的にバッシングを受けている状況にも関わらず貨物のチェックがザルである等、末端の兵士の仕事の乱雑さが目の当たりになるシーンであり、またアジア軍もオセアニア軍も多少人的被害が出ても相手の軍にそれを擦り付けられると思っており、オセアニアはともかくアジア軍側の楽観視が伺える回といえるだろう。
それらの結果、6話はまた八咫烏の介入によって戦闘を中断せざるを得ない結果となるのだが、全体的にアジア軍とオセアニア軍の末端が5話も合わせてレジスタンスへの警戒心が低いことが強調されている(ように見える)
境界戦機の状況的にある程度緊迫した状況下のはずなのだが、末端のザルさがにじみ出ている描写をテンポよく行った6話のシーンは、視聴者に独特の笑いを与えた。
またオセアニア軍が攻めてきたぞ!というセリフが「イルカが攻めてきたぞっ」に代表されるネタワードに近いのも笑いを誘った部分である。
またあらすじの通り、この作品は日本が一度破綻して各経済圏が救済の体をとって介入した形なのだが、作中の節々でかなり住宅地がきれいに残っていたり、コンビニの店頭には商品がずらりと並び、そういった食糧などの方面で困っている描写が少ない。
また、一般市民が普段からレコード等を購入していたり、普通に一般的な商店等は残ってかなり良い品ぞろえを揃えている等、節々に割と経済的には安定している様子が見られており、視聴者からは「本当に破綻しとるのか?」「今は結構安定してるんじゃないか?」と考察を投げかけられている。
またそれと対照的に家屋を壊され土地を真っさらにされたり、家屋を没収されたり、人身売買に利用される日本人等の弾圧が描かれており、弾圧されてるのだかされてないのだがチグハグに感じられなくもない描写が視聴者を惑わせている。
2021年秋はロボットアニメが豊富であり、どれもそれぞれ視聴者に楽しまれており、今期の異なったロボットアニメを見ることで、境界戦機の良さ、そして境界戦機以外のアニメの良さも境界戦機を見ることで感じられるかもしれない。
まさにロボットアニメだからこその楽しみ方といえるだろう。境界戦機は2021年11月22日現在、youtubeで無料で全話を視聴できる。要チェックだ。
「接岸してるってことは、許可が出てるってことだと思うが…」
2021年アニメピックアップ 究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら
2021年、令和に入ってから新たな年の幕開けとなり、まさに平成から令和にアニメの評価自体も移り変わり「今、令和だぞ?」という発言がアニメに対して飛び出す今日この頃。
では例えば「令和らしいアニメ」とは?「平成から一歩進んだアニメ」とは何か?2021年、そういった評価に相応しいアニメは多く存在したといえる。
そんな中で今回おすすめしたいアニメこそ「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」である。
『究極進化』が描く「本気」との向き合い
「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」、略して本記事では以下「究極進化」と呼んでいくが、この作品の世界は既にフルダイブRPGが実用化され、ヘッドマウントディスプレイの時代を更に通過してなんか椅子型のフルダイブ機器によってゲームを楽しむことが出来る時代となり、そして更に超えて「もうフルダイブRPGは古い」と若干飽きられてしまっている世界が舞台である。
主人公の結城宏は、とある事情からかつてやっていた陸上を辞め、現実に対して不満を持ちながらも半ばあきらめを感じる日々を送っていたが、とあるVRゲーム「極クエスト」と出会った(押し付けられた)ことで少しずつ彼の日常に変化が訪れるといったあらすじである。
この作品のメインの舞台となる「極クエスト」ははっきり言って「全然遊びたくならないクソゲー」である。
とにかくVRゲームなのにリアルを追求しており、ゲーム内のパラメーターは基本的に現実の肉体依存なので全然ゲームとして新しい誰かになれるとかそういったことはなく、モンスターと戦うにも一般人の非力な力では何一つ抵抗できないし、そのへんの町民にすら劣る。しかも痛覚とかは疑似的に用意されており、小指をぶつけるとかみたいなリアルな痛みも普通にくる。
ゲーム的な美味しいイベントなども基本的には用意されておらず、「ゲームはプレイヤーを楽しませるもの」といった配慮は作中で一切見られない。
そんなゲームをやらされる主人公は、ファンタジーの世界のリアル拷問に恐怖して失禁したり、そのへんのおっさん(別のプレイヤー)に陥れられたり、幼なじみのキャラを殺害した罪で追われる身となったり、とにかくロクなことがないそんな姿をコミカルに楽しむ作品となっている。
更にこの作品のヒロインである如月玲於奈はそんな主人公を見て笑ったり酷い言葉を浴びせたりする。もう何も良いことがないこのゲーム。
しかしそれでも主人公はこのゲームにキレ続けながらも必死にゲームと向き合って、『本気でゲームと向き合う』ということを段々理解していく。
このゲームの世界では主人公は『プレイヤー』ではなく、確実にその世界に生きる一人の人間として扱われており、そしてそういった人間としてゲーム内のキャラクターたちとも本気で向き合っていく。
それによってゲーム内のキャラクターたちもたとえAIだとしても、本気で主人公が向き合ったことで結果が伴ってくる。
そう、この作品に大事なこと、それは『たとえゲームだとしても、真に本気で向き合うこと』なのだ。そしてそれはこの作品における「現実との付き合い方」とも繋がってくる。
主人公はかつて陸上で様々なトラウマを背負ってしまい、そのまま陸上を辞めてしまった。そこにはかつて『本気』があったが、その本気はいつしか彼の中から消えてしまっていた。
しかし、極クエストの世界で「本気で生きること」と再び向き合ったことで彼にとっての新しい「生きがい」であり「現実」が見つかるのである。
SAOへのアンサーソングとしての究極進化
さて、現代におけるVRゲームモノの作品で最も著名といえばやはり「ソード・アートオンライン」だ。(個人的には)
ソード・アート・オンライン(SAO)はアインクラッドという場所を舞台にしたVRMMO、「ソード・アート・オンライン」に閉じ込められ、死ぬと本当に死んでしまうというVRデスゲームを強いられる物語であるが、SAOにおいて重要なのは『VRゲームとはもう一つの世界である』という価値観である。
主人公の桐ケ谷和人(キリトくん)は「VRMMOの世界を現実以上に世界として体感している」という特性をもっており、彼にとっては現実以上にVRMMOの世界の方がある意味で大事だ。
SAOにおいてこの特性は非常に重要であり、「よりVRMMOの世界を真に感じることができる」ということが作品においては非常に軸として置かれ、故に「死んだら本当に死ぬVRMMOの世界」とは真にもう一つの世界として現実と並ぶ『世界』ということをSAOは示しているのである。
そしてそんなキリトくんはつまり、VRMMOの世界を「現実以上に本気で受け止めている」人物と言えるのだ。
なんだかSAOって変な作品じゃない?って思うかもしれないけど本当に変な作品なんだ。
でもそんなVRゲームモノラノベ作品の現代における元祖のような扱いであるSAOを踏まえて『ゲームと本気で向き合うこと』をVRMMOにおいて持ち出す作品であるのが「究極進化」なのである。
究極進化の極クエストは「ゲームで死んでも死なない」代わりにゲームハードがぶっ壊れてゲーム自体は最初からやり直しになってしまうという嫌な仕様があるのだが、
そんなゲームに「本気で向き合う」ことはできるだろうか?全然人を楽しませようとはしてないし、ゲームとしては欠陥だらけのゲームであるし、そんなゲームと本気で向き合おう!という気には正直到底ならないだろう。
そもそも一般的にはゲームにそこまで本気になることは普通はないし、別にゲームに本気になる必要なんてないし、ゲームって楽しむもんだし。
しかしSAOが提示するのは「ゲームも現実もある意味で同じもう一つの世界であり、ゲームの世界で本気で生きることは現実で本気で生きるのと同意である」ということである。
そしてこれを踏まえて『主人公がゲームに本気になっていくことで、現実でも本気で生きていくことを見つめなおす』というのを描いているのが究極進化なのだ。
究極進化は明らかにSAOを踏まえて描かれており、SAOを非常によく理解した作品だと感じる。
そもそもSAOにおける「ソード・アート・オンライン」なんてそれこそクソゲーと言える部類であり、強制的に参加させられて顔は強制的に現実の顔にされるし、死んだら死ぬし。
ゲーム自体に適合しない人間や、絶望した人間は作中で自殺したりモンスターに殺されていたり初見殺しにやられたり本当にロクでもないことばかりである。
しかしそれでも生きていかなければならない。それがSAOが提示する「現実」だ。
究極進化の「極クエスト」も同様どころか別ベクトルで常に嫌なことが起きるし、思い通りにいかない。しかしだからこそ究極進化で「本気で向き合ったこと」は作中で無駄にはならず、そして主人公が現実と向き合い生きていく糧となっていく。
「これはゲームであっても遊びではない」というSAOの売り文句を別ベクトルで描き、そして別ベクトルで掘り下げ、誰かの本気を肯定する作品。それが「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」なのだ。
平成のVRモノの柱となったSAOにここまで真摯に向き合った作品である究極進化、「令和を代表するVRモノ」とまではいかずとも、令和の始まりを告げるにふさわしい平成VRモノへのリスペクトがこもった作品であると自分は思います。
そういうわけで2021年を代表するんじゃないかな?なアニメのピックアップタイトルでした。
ツイッターには書かない感想シリーズ
特段ツイッターにはあんま書かない感想をこっそり書くだけの記事です。
・ななどなどなどという作品について
この作品について個人的にかなり衝撃的だったのは『お嬢様』の表現である。
非常に身勝手かつステレオタイプな印象ではあるのだが、漫画の記号的『お嬢様』というのはオホホホ~って高飛車な笑い方をしながら少し抜けていて、そしてお嬢様らしさに対してなんかちょっと怠惰だったりガサツなところがありつつ、うちには頑張り屋なところを秘めていて… みたいな、そういうお嬢様観が近年は支持されつつまたバラエティ豊かに作品の主題となったりしている。(これは偏見でありそもそも漫画をあんまり普段から読んでるわけじゃない人の主観です。)
そしてこのななどなどなどの主人公である玉村小町も割とその例に漏れないキャラクター性を持つお嬢様キャラである。
お嬢様だから怠惰な面があったり、色々あってガサツな面があり、しかしそれに対して変なプライドを備えたお嬢様っぽい頑張り屋な面があったり…。
しかしこれらを踏まえたうえでななどなどなどが出してくる『お嬢様』の描写は個人的なお嬢様のレイヤーを一つ踏み越えたものがあったのだ。(もちろん、これは個人的な範囲であり、実際もっとたくさんの作品に触れてる人からすればそんなでもないかもしれないが)
例えば、小町が仲良くなった友達たちと共にショッピングに行ったとき、各々が学生らしく服を眺めてきゃぴきゃぴと話題に花を咲かせるのだが、小町は高飛車なことを言いながらも椅子にしばらく座りこんでいる。
その理由を聞かれた小町は「販売員がわたくしに似合う服を持ってくるのを待ってるのですが…?」と答えるのだ。
よくよく考えれば「そう」だわ!と自分の愚かさをここで感じてしまった。そう、自分の中のお嬢様観というのはここで「オーホホ…庶民の服が並んでますわ~!」「こんなものはゴミクズですわ~!」くらいの勢いの雑さなのだが(雑過ぎる)
小町はそもそも服を「選ぶ」ことなどしないのだ。しかもそもそも「買う」ことにすら困ってないのだ。服なんて吐いて捨てるほど家にある。ならばもはやそもそも「買う」という行為にそこまで大きな意味がないのだ。
そもそも服で競り合うこと自体に意味なんてないんだ!
ってことを自分は思いつけなかったのだ。仕方ないじゃん!ユニクロとしまむらくらいしか行ったことないファッションに興味ないマンだから!!!!!!!!!!!!!!!!
当然ながらそういう「経験からの差」というのは露骨に出てしまうものではあるが、こういう想像力の幅というのは見せつけられると落ち込むものである。
お嬢様の描き方ひとつですら大きく差が出てしまう、そういうのを常に感じさせるのがこの漫画~!
「ななどなどなど」なのだ。そんな感じで幅広い人物描写が様々な形で描かれるうえに、テンポよく読める良い作品だと思います。
こういった形での作品の感想というのは非常に言いたくない、最終的にはどうしても自分語り的なものと繋がっていくから。
というわけでこれはこちらの感想置き場送りとなりました。またこっちで書く日が来るかもね。
・ニチアサ以外もやってます
この作品にも漏れないのだが、きらら作品で自分が読む、見るタイプの作品は学生のキャラクターが何らかの形で漫画自体のテーマとなるモノを部活動その他モノモノ等で親睦を深めつつ自分の中の未来の方向性を定めていくものが多い。
自分の読んだ、アニメで見たものの範囲だと「ご注文はうさぎですか?」、「こみっくがーるず」、「ぼっち・ざ・ろっく!」…
まあ挙げればキリがないかも。
とにかくどれも未来に対してまっすぐに進んでいくものが多いのである。
誰しもにあるものではあるが、やはり自分の羨望していたものを他者が成し遂げる瞬間というのは負の感情を抱かざるを得ないものである。
そういった形で非常に自分はこれらの作品群に対して暗い気持ちを抱えることが多い。作品の面白さとは別に。
この作品を読んでいて何度自分もこうであったならばよかっただろう?と思えただろうか。「何者かになりたい」というのはインターネットにおいては危険な感情であり、これが暴走した結果様々な形で失敗する人々がインターネットでは余りあるまでに観測されてきた。
そういった何者かになりたいという己が制御していた感情、そこを揺さぶられる作品というのは非常に苦しいものなのだ。
何故この作品をそんなヘラヘラと眺められるのだろう と思う自分と、いや面白いな~wwwゲラゲラ… と笑っている自分が同時に存在している。
仮に今の自分が何かを成し遂げられた人間ならばこれを心の底からヘラヘラと楽しめたのだろうか?だが、それはきっと今の自分ではないのだろうし、そしてこの作品と出会えていたかどうかもわからない。
そしてこういった「自分に寄り過ぎた感情」というのは、もはやツイッター等で赤裸々に他者に見せられる「感想」などと呼べる代物ではないだろう。
そう思うからこそこちらに書かれるものとなる。
もしもあの時代、ビデオカメラなんか高価なものじゃなくてスマートフォンがあったら、もしも身近に使えるPCがあれば、もしも…
そんなくだらないことを反芻すると同時に、自分にも確実にできた時間を思い出してしまうのだ。
自分もこの漫画のように何かに感動できていれば、もっと動けていれば、自分に何らかの『障害』がなければ?
そんなことを考えて…。
だからこそ今はやはり今出来ることをやるしかないのだろう。そう思いなおしていくしかないのである。
こういう感情を出来れば吐き出してリセットしておきたい、そういう感情も含めてここに吐きだめておく。
2021年秋アニメも出そろったので好きなOPからアニメを喋る
2021年秋アニメも出そろい、それぞれのアニメの2話が放送、配信されてOPも出そろって参りました。
毎年秋のアニメは意欲的な作品が並ぶことが多く、今年はなんと深夜の原作付きからオリジナル含めて、新作ロボットアニメが何作もあるということで話題になっている素晴らしいクールとなっており非常に素晴らしいことです。
というわけでアニメのOPはアニメの顔。今期アニメの個人的に好きなOPを紹介すると同時にそのアニメについて現状でのそれぞれの作品を語っていきたいと思います。
86-エイティシックス-(2クール目)
2クール目になってアニメのテンポが良くなったと(自分の周りでは)評判の86。
OPの気持ちよさと演出に関しては個人的に2クール目OPは見張るものがある。
まずアニメのOPで大事なのはやっぱりテンポと音ハメだと思っている自分としてはOPの緩急がしっかり映像が乗っかっていることが一つの評価点だ。
ゆったりと盛り上がっていく楽曲に合わせて基本的に動きが少なめの映像がサビ前までは続いていき、またキャラクターは基本的に画面に直接的に目を向けない形で描かれている。
視聴者側もOPの楽曲に乗っかりながら映像の持つ空気感や要素に身を委ねていくことができる。
そしてサビに入った時に印象的なカットとして『目』が入ってくる。
この目で一気に映像の空気感は変化し、戦場のシーンに映像は移り変わり、ブワーっと大量のロボット(レギオン)がいる戦場を駆け抜けてくる主人公たちの機体(レギンレイヴ)がOP最初の方のレギオンのカットと対比的に描かれ、そしてそこには『乗り手』としてのキャラクターたちがいることが示唆される。
ここで各キャラクターがしっかり画面を見据えてアップになっていき『目』にズームしていくのが印象的だ。
このOPで共通される『目』の強調である。ここのサビでの目のカットでようやく画面にしっかり目を向けるキャラクターたちが描かれることでサビと同時にめちゃくちゃに視聴者に印象的なOPとなるのが気持ちがいい。
そしてこのOPの一番好きなところがサビのこの勢いできたところからのタイトル出し。
ここで「86」のタイトル出しからのゆったりした映像を流すのはうわ~上手すぎるってなった部分。ピタっと止まるように静かになる映像とサビのそのままの勢いがもうめちゃくちゃに印象に残る。そして主人公の眼に映る先にある光景としてラストカットがOPの最初のカットと繋がるのも良い演出だ。
OPが完成されている…ってなる良いOP。
86本編はサングノマリア共和国という場所で有色人種故に人間扱いしてもらえない主人公たちが性能がウンコみたいなロボット「ジャガーノート」に乗せられて、AIで動いてるんだかもうロボットっていうか怪獣みたいなロボットである「レギオン」と戦う話である。
2クール目は1クール目の色々あった間の話であり、主人公たちは戦線を離れてそのレギオンを作ったけど滅ぼされて新しい国となった「ギアーデ連邦」に拾われ、なんかそこで出会った幼女と一緒にがんばっていく話となっている。
この86というアニメは一応ロボットアニメに区分されるアニメなのだが、明らかに滅茶苦茶地味めなジャガーノートというロボットがプラモ化されていたりとやる気にあふれたアニメである。
是非今回の記事で初めて知った、知ってたけど見てなかった という人もOPの勢いに合わせて2クール目からでもいいので見てみてはいかがだろうか。
ちょっとタルいテンポもあるっちゃあるアニメだが、やっぱやる気があるアニメはいいですよ。
OPの絵コンテ演出は山本建さん。
近年活躍している若手アニメーターであり、Eveの「約束」のMVの監督を担当していたりする注目株。
すっごい良いOPだったのでまた他のアニメでもOPを担当しているのが見たくなる。これからも要チェックです。
見える子ちゃん
コメディホラーを謳う作品である「見える子ちゃん」のOP。
曲だけ聞くと非常にポップな曲であり、同時にOPの色付けも全く「怖さ」を感じさせるというよりもカラフルかつポップな感触を感じるものとなっている。
しかしそれとはギャップ的にカラフルに描かれているのは「血」であり、日常の中に描かれる「血」の中をOPの見える子ちゃんは逃げ回っている映像となっている。
このOPの特色、それは「見える子ちゃん視点ではない」ということである。
見える子ちゃんというアニメは主人公の「四谷みこ(見える子ちゃん)」の目線で基本的には描かれる作品であり、タイトル通り幽霊が見えてしまう主人公が日常を安全に過ごすために幽霊を常にシカトし続けるアニメとなっている。
アニメ本編では無論幽霊が出てくるのだが、OPでは一切幽霊が出てこない。本当に一切ない。見える子ちゃんの視点ではなく、第三者視点で描かれているのだ。
見える子ちゃんは常に目線を画面の端々にやっているが、視聴者の目線ではOPではカラフルで不気味には見えない血しか見ることはできない。
それに悪寒を感じることはできても、見える子ちゃんと同じ視点を共有することはできないままOPを見ていくことになる。
作品の主人公である見える子ちゃんという存在を際立たせると同時に、この作品の重要要素である幽霊を敢えて「出さない」のは面白いOPとなっている。
あとやっぱり音ハメが気持ちがいい。サビでのカットのタイミングがとにかく気持ちが良く、またカラフルな血で描かれる演出が見てて楽しいものとなっている。
ちなみにOPとは対比的にEDはめちゃくちゃに幽霊がいっぱい出てくる。むしろ主人公たちよりも幽霊がメインみたいな感じで描かれてるくらいは動きまくって出てくる。
こういうところもニクイ演出のように感じられる。OPで幽霊を見なかった視聴者は、本編を見終わった後のEDで幽霊を見て見ぬふりをしてかわいい女の子を楽しむような感触が楽しめるかもしれない。
アニメ本編は3話までだとコメディホラーというだけあって本当に日常に幽霊が出る シカトする の繰り返しをストーリーでやるみたいなシンプルな構造なので多少退屈さもあるのだが、3話になって遂に霊能力者が登場したので今後ストーリーがどう転がっていくか楽しみなところである。
個人的には日曜日にテスラノートとかを見た後にのんびり見るのに向いていて好きです。
OPの絵コンテ演出は監督である小川優樹さん。
近年は異種族レビュアーズや月曜日のたわわの監督や、ひぐらしの鳴く頃に業のOPのコンテなどを担当している。
ひぐらし業のOP担当だったのは納得度が高い。女の子を走らせるのとかの魅せ方がいいっすね…。
吸血鬼すぐ死ぬ
吸血鬼と吸血鬼ハンターのバディもの(?)っぽいギャグアニメ。
とにかく楽しいOPで、主役二人のダンスが曲に合わせて非常に気持ちよく描かれている。
なんかよくみるとダンスがすごいアホっぽかったり、ダンスに二人とも失敗していたりと、シンプルなようでテンポよく映像的に視聴者を楽しませてくれるOPになっている。
ダンス作画については崩しの少ない描き方がされており、それと同時にクルクル回る背景でなんか2人のダンスが異様に生き生きと動いてるように見えるのはアニメーション技術の妙を感じられる。
アニメに大事なのはなんにせよ「それっぽく視聴者が感じること」なのだ。
それから基本的にはこのOPでは主役である二人以外はダンスしないのもあって対比的であり、ダンスをしている二人が「主役」である作品だということは言うまでもなく伝わるものとなっているだろう。
また、砂になって消えていスタッフクレジットが印象的なのでせっかくなら本編を見てスタッフクレジット入りのOPを見るのもおすすめしたい。
ちなみにOPのコンテ演出は増原光幸さん。「ダイヤのA」や「若おかみは小学生!(テレビアニメ)」の監督をしていた方である。
スタッフの皆さん軽快で楽しいOPをありがとうございます。
「吸血鬼すぐ死ぬ」はバンパイアハンターのロナルドと、高等吸血鬼のドラルクの2人がバディを組んで過ごす日々を描くギャグ漫画のアニメ化である。
ドラルクは自身を格の高い吸血鬼だと自称しているが、ほんのちょっとのきっかけで死んで砂になってしまう虚弱体質であり、すぐに生き返るがすぐに死ぬ全然威厳のない吸血鬼だ。
ドラルクを退治に来たバンパイアハンターのロナルドだが、色々あってドラルクの家を全焼させてしまいドラルクを自身の事務所に住まわせることになってしまう。
非常にテンポの良いギャグの応酬がアニメとしては非常に目を見張る部分であり、かなりのノンストレスでギャグが楽しめる意味で作り手の技術が光るギャグアニメである。
声優さんの演技も合わさってとても楽しいアニメとなっているので、ぜひ興味がある方は本編もどうぞ。
MUTEKING THE Dancing HERO
リンクで埋め込んでるのは公式youtubeのノンクレOPなのだけど、このOPは本当にテロップ入りで見てほしい!!!
スタッフクレジットがあってこそ完成する最高のOPです。
まずこのOP楽曲であるオレンジレンジの「ラビリンス」がめちゃくちゃ良い曲なのだが、この曲に合わせてスタッフクレジットが音ハメで気持ちの良いタイミングで入ってくるのがこのOPの魅力となっている。
ワンカットワンカットがレコードのジャケットかのように描かれており、これはスタッフクレジットがあってこそ完成されているものなのだ。
少し古めのOPの曲調も合わさり、このアニメの空気感としても出されている少し古めのポップミュージック的な映像を楽しむことができる非常に良いOPなのだがやっぱりスタッフクレジットがないとそこは伝わらないのだ。
マジでスタッフクレジット入りを見て!!!公式はスタッフクレジット入りOPもできればyoutubeに…出してくれたらありがたい かも。
OPのアニメディレクターはTHINKRの佐伯雄一郎さん。
廻廻奇譚のアニメ版MVなどを担当していた方で、EDも担当している。
EDも非常に良いものとなっているのでオススメです。
ところでMUTEKING THE Dancing HERO本編はなんだか話が3話まできて一向に進みがない気がしてしまうアニメなのだが、それ以上に特筆されるべきは異様なまでの「セレブ、ブルジョワジー批判」の精神が見られるところである。
敵となるセオは、舞台となるネオ・サンフランシスコのカリスマ的な起業家であり様々なサービスの提供を行うIT企業オクティングのトップ。
本編1話ではどう見てもiPhoneのようなアイテムとどう見てもApple Watchのようなアイテムを宣伝していたり、本編で敵側のダンサーとして登場する「オーロラ」のバックにいる人物であったり、街の経済も強引な方法でキャッシュレスを推し進めていたり。
とにかく現実における巨大企業の資金力で幅を利かせているようなものが目立つ。それと同時にそれらの巨大資本と敵が人々をモンスターによって液体化させる展開を繋げており、とにかく「敵」がオクティングの資本的動きと繋がっていることを強調してくるのだ。
そして対比させるように主人公のムテキたちはゲームセンターでキャッシュレスではない硬貨を入れることでプレイできるゲームセンターで絆を深めるような描写や、ムテキがストリートダンスを嗜む人物であることが映像で端々から描写されていたり。(代表として1話では明らかにマイケル・ジャクソンを意識したシーンがある)
ムテキの相棒的キャラであるDJは明らかにヒップホップを意識したキャラクターとなっており、とにかく資本的強者であるオクティングとは対比的に庶民的かつストリート的な側面が主人公側で強調されているのだ。
しかしアニメ自体は「なんか主人公がオクティングの商品を買いに行ったらそこで敵の策略に巻き込まれてその場で変身」のフォーマットに則っており、そういった「よくあるヒーローアニメ」ないし「女児アニメ」のような構造にこの異様なまでの一貫性が乗っているのは異様な味わいでありMUTEKING以外では味わえないものとなっている。
今後に注目していきたい一作と言えるだろう。みんなも見よう!
大逆転裁判1&2の今振り返る 逆転裁判4
※各作品のネタバレを含む内容です 注意してください
・大逆転裁判が内包する逆転裁判の要素
既に発売当時から語られている通り、大逆転裁判1、2における物語は『逆転裁判』のシリーズ的要素の数々を内包している。
1では依頼人を救うために「信じる」ことの意味を振り返る、逆転裁判無印を意識させられる構造。
依頼人自身が実は犯人であったことが判明する逆転裁判2の構造。
第一話が最終話等に繋がっていく逆転裁判3の構造。
そして、「法律」を悪用する相手や「法」を変えねば解決できない「犯人」が登場する逆転裁判4の構造。
『時代の闇』に立ち向かう逆転裁判5の構造。
『国』を揺るがす逆転裁判6の構造。
逆転裁判5や6等は当時意識して踏まえられてるかは疑問だが、逆転裁判という作品は自ずとこのテーマと向き合わざるを得ないとも言えるだろう。
そして、大逆転裁判では「科学がまだ世界的に導入される前の世界」であることを利用して、蘇る逆転から導入されたカガク調査等が「陪審員」を説得するための要素として利用される。
新システムである陪審員システムは逆転裁判4における裁判員制度を、レイトン教授VS逆転裁判における要素を踏まえて変化させた形でシステム的に持ち込んだモノと言えるだろう。
また、レイトン教授VS逆転裁判における群衆尋問も大逆転裁判においては採用されている。
システム的にも多くの逆転裁判の集大成的作品と言える。
これらの「大逆転裁判は逆転裁判の集大成的作品である」という前提の上で、逆転裁判が戦う相手が明確にあらわされているのも大逆転裁判と言える。
大逆転裁判の世界ではまだ「序審法廷」の仕組みが存在していない(のかはわからないが作中では言及されていない)、3日以上かかっても裁判自体は続けることができるようだ。
そんな大逆転裁判において向き合う存在として最初に提示されるのは「コゼニー・メグンダル」であり、彼は裁判の「証拠」が最重視される仕組みを利用し、裁判を金の力で歪めた。
このことは成歩堂龍之介の心に弁護士が「信じる」ことへの疑問を抱かせると同時に大英帝国の闇を見せつけるものとなった。
そして2のラスボスの「ハート・ヴォルテックス」、ヴォルテックスは多くの犯罪を自分自身で手を下さず、死神の暗殺などを利用し、そして法によって整備されたロンドンの平和を盾にすることで罪から逃れようとした。
あの世界においてハート・ヴォルテックスという人物を罪に問うことが出来なかった以上、その時にとどめとなったのはより高い権力。そして当時の民意の代表人物であろう「ヴィクトリア女王」であった。
大逆転裁判において向き合った2人の闇が盾にしたもの、それは地位と法である。
そしてこれらと向き合うために大逆転裁判において存在していたのが『民衆』なのだ。
成歩堂たちが法廷で戦う中でその『真実と向き合う意思』を認めるのは大逆転裁判の最終話においても『第三者』だったのである。
それらは「法の絶対性への疑問」と「法律以上に真実を見極めるのは第三者、および『民意』」を提示しているといえる。
逆転裁判が最終的に戦う、戦わねばならない存在。それは『法』となっていくのはシリーズをプレイした人間ならば感じ取る部分ではあるだろう。
そして『法』と向き合うことを明確にテーマにした作品、それこそ「逆転裁判4」なのである。
・今振り返る逆転裁判4
逆転裁判4は今でも賛否両論が出る作品であり、その原因はさまざまなのだが、一つとして「成歩堂龍一の堕落」というのがよく挙げられる。
逆転裁判3で「ゴドーにも認められた、1人前の弁護士」となったはずの成歩堂は、4の物語の中で罠にハメられ、そして証拠品の偽装という汚名とともに弁護士バッジをはく奪されてしまっている。
しかし、そんな成歩堂が逆転裁判4において秘密裏に動き、多くの協力者によって成立させようとしていたもの。
それこそが逆転裁判4というゲームが出た当時にも話題になった『裁判員制度』である。
逆転裁判4におけるラスボスである牙琉霧人は『弁護士』であり、成歩堂を陥れ、そして刑務所に入った後に更なる罪を追求され、「証拠品」だけでは立証しきれない罪を裁判員制度によって裁かれることとなった。
牙琉霧人はそれまでの逆転裁判シリーズではある種の万能能力として示されていた『サイコロック』すらも通用しない存在として提示されており、
逆転裁判におけるある種のアンチテーゼ的キャラクター性を持ち合わせているといえる。
彼の「法」を盾にするという要素は逆転裁判4の前に発売された蘇る逆転における巖徒海慈等にも見られる特徴であり、やはり逆転裁判が向き合っていくにあたって最終的に着地するのは『法』なのであるといえる。
そして逆転裁判4のラストでは演出的に「プレイヤー」に成歩堂龍一が呼びかけ、成歩堂と王泥喜の裁判や調査のデータを追体験し、「裁判員」として牙琉に「有罪」を示すのである。
それはかつて、逆転裁判をやってきたプレイヤーたち、その視点でこそ成歩堂や王泥喜の「真実を追求する姿勢」を肯定できるということであり、つまり逆転裁判4における「絶対的な法へのカウンター」である『良識のある一般市民』とはプレイヤーなのだ。
プレイヤーの良識、今まで逆転裁判をプレイしてきた経験、それまで逆転裁判4でみてきたもの。それが最終的に絶対的とされる『法』を盾にする犯罪者を追い詰める武器となる。
逆転裁判というゲームがあの世界観と向き合う「コタエ」としては非常にまとまった着地点なのではないだろうか。
逆転裁判4は当時、非常に散々な評価を受けた作品である。しかし、だからこそ大逆転裁判において明確に示された真実を追求する姿勢とその肯定を踏まえることで再評価が「しやすくなった」と自分は考えている。
ゲーム自体のあれこれとは別に、逆転裁判という作品が最終的に辿り着いてしまう場所はやはり逆転裁判4が現状は最も「近い」のではないだろうか。
・逆転裁判が避けられないロジック
逆転裁判の世界はそもそも、「犯罪が多すぎて3日で裁判を終わらせないといけない」というとんでもない世界観が前提となっている。
そしてこれらによって多くの悲劇が産まれていることは作中でも明確に提示されている要素である。
それらを踏まえて逆転裁判5、6では虚偽の証拠品や信頼の落ちた時代が描かれつつ、それらと向き合う新世代も描かれている。
逆転裁判の世界はどう頑張っても、「物語が続く」限りはこれらの歪みとは向き合わざるを得ない。
そういった意味で、大逆転裁判は時代を戻し、逆転裁判の前の時代から「向き合うべき存在」が共通していることを示す作品ともいえるだろう。
再びそういった路線に戻るのは難しいだろうし、今後逆転裁判が如何なる方向性に向かうかはわからないが、プレイヤーとして大逆転裁判をプレイした後だからこそ、また別の角度で逆転裁判をプレイしなおすのもおすすめしたい。
ウルトラマントリガー 4話を見た感想
ケンゴ…あなたは…光であり…(恒例)
というわけでトリガー4話の感想を引き続き書いていきたいと思います。
今回のあらすじ
超古代文明の遺跡が発掘されたので、その調査に赴くガッツセレクトのメンバー。
そこにイグニスが現れ、発掘された出土品を盗んでいってしまう。しかしそれがきっかけで怪獣オカグビラが呼び覚まされてしまうのだった。
今回の大まかな感想
個人的にはやっぱイグニスが結構好きだな…ってなった。
まぁやってることはクソ迷惑なんだけど、立ち回りがさせやすいキャラっていうのは見てて結構楽しいところがある。
あと今回、ケンゴが怪獣を請け負ってアキトに他の仕事を任せる… みたいなちょっとバディ感が板についてきているところも結構好きだなと思う。
アキトとケンゴの関係性が色々な形で提示されるだけでドラマとしては筋が出るんで(アキトは特に個人的に良いキャラしているので)
アキトのそういう技術者的な面でのサポートシーンなどがもっと絡んでくるともっと好き度があがるかもしれないですね。
今週のいいところとして、今回のメイン怪獣であるオカグビラがまぁまぁ色々見せてくれているところ。
ただオカビラの良さを戦闘で魅せるのはいいのだけど、怪獣としての特性を踏まえた作戦とかが行われるともっといいな…とはなる(アキトが発信機で誘導したりはしていたのだけど、ガッツファルコンみたいなのが存在するなら、そこらへんを利用した作戦があってもいいよなという)
まあ今回はオカグビラが急に出てきたのもあって、対応が間に合わなかったという感じではあるが。
割と個人的に今週は満足したほうかもなんだけど、え!?必殺技はハサミ(ハサミ?)を頭に殴りつけて終わり!?
って思ってしまった。グビラといえば角を折るとか… というか必殺技そんな感じなの!?(なんかないんか!?こう…技としての演出が…って思ったけどまぁ まぁね?)
そして闇の凸凹トリオは海の中で今日も楽しそうにしていた。君らは海の中が好きなんだね…。
次回は… え!?総集編!??????????大丈夫!?
デバンが紹介してくれるみたいだけど、本編ではデバンは絡まないのかな?
まぁ今後も感想を続けていけたらいいですね。
今週のギャラクシーレスキューフォース
と トレギア…
今週はヒカリ過労死の話題。悪用する人も出てくる…じゃなくて悪用されまくる未来がまっているから困りますね。
トレギアがうまくいってればヒカリ過労死問題も良い方向に転がっていたのかなって思うけど、なんかトレギアが開発に回った結果悪用される現実と直面したらトレギアが結局なんか面倒なメンタリティを発動していたのではないかみたいな気もしますね。
トレギアの話になると口が回る。
スーパーヒーロー戦記を見ました ネタバレあり感想
スーパーヒーロー戦記見たので感想です。タイトルにもある通りネタバレありで書いていくので注意してください。
大体のあらすじ
新たなる小説のネタに悩む仮面ライダーセイバーこと神山飛羽真。そんな飛羽真たちの前に「ファンタジック本屋かみやま」には仕入れた覚えのない本、「機界戦隊ゼンカイジャー」が現れる。
本を読み始めた飛羽真たちは突如本から放たれる光に包まれ、気が付くと知らぬ場所に飛ばされていた。
そこはなんと読んでいた本である「機界戦隊ゼンカイジャー」の世界だった。
そして時を同じくして、機界戦隊ゼンカイジャーの主人公である五色田介斗たちもまた、別の世界、「仮面ライダーセイバー」の世界に飛ばされていたのだった。
それぞれの物語が交わり、スーパーヒーロー戦記の物語が幕を開ける。
1年開けて久しぶりに見る『祭り』の空気
春映画が超スーパーヒーロー大戦で(一応)終わりを迎え、そしてコロナ禍の結果拝むことが出来なかった東映ヒーローのお祭りが夏に帰ってきた作品である「スーパーヒーロー戦記」
久しぶりに見てコレコレ~!!!!!!!!という盛り上がりと同時に「めちゃくちゃ疲れた」という感覚がどっとくる良い作品だったと思う。
まず(こういう評価はどうかと思うけど)想像以上に丁寧だなーと前半は感じた。前半は。
ジュランと飛羽真たちの絡みも見てて楽しかったし、またこういうお祭り的状況に全然慣れてない倫太郎と介斗の絡みも個人的には良かったなと思う。もっともっと見ていたいくらいだった。(カーレンジャーの世界に飛ばされたケントもどうなってるか見たかったな…)
見てる最中はキラメイブルーである時雨やシンケングリーンである谷千明、他にも出来る限りオリジナルキャスト(というか声優だけど)を揃えている上に結構キャラの置き方も楽しくてテンションが上がった。
まぁ自分の中の「最低限」がもはや超スーパーヒーロー大戦の北岡というマイナスに振り切れまくってる存在なので、この程度でも喜べちゃうというのはちょっと問題があるのかもしれないけどまぁ…いいでしょ…。
あと西遊記パートで三蔵一行に使命を与える仏様役として登場するオーマジオウとか、なんかホンワカしたしめちゃくちゃ面白かった。
オーマジオウ、またこんな感じで雑に仕事を選ばずに登場してほしいね…。むしろ電王組との絡みすら見たい。ソウゴも好き勝手出てきてほしくなる。なんだかんだ無双するグランドジオウはカッコイイなぁー!ってなった。
電王組はもうめちゃくちゃ相変わらず。プリティー電王から引き続き存在感の衰えなさを見せてくれた。春に彩りを与えてくれる恒例キャラ。(春じゃないけど)
あとゼロワンもクロスオーバーで登場して戦隊とかとも絡むのがマジでうれしかった。ゼロワンはそういう作品にコロナ禍の憂き目で恵まれなかったので、セイバーと一緒に戦ってる絵面だけでも個人的には感無量である。
ただ今作はメインシナリオにおいて重要なキャラとしてセイバーの主人公である神山飛羽真が配置されていたので、思ったよりクロスオーバー部分は少なめだったかも…とか後から思っちゃうのは後半の『スーパー春』な絵面とかリバイスのせいかもしれない。
でもテレビの方である程度そこはカバーしてくれてるという感じだしまぁ求めすぎるほどではないですね。
春の絵面
物語の神である石ノ森章太郎少年(敬称略)を利用し、ヒーローたちの存在を消そうとしていたアスモデウス。
それに対して、新たな「スーパーヒーロー戦記」の物語を書くことによってヒーローたちを復活させた神山飛羽真と石ノ森章太郎少年によってアスモデウスとの最終決戦が始まる。
もう後半の絵面は『完全に春』。
採石場。1号やアカレンジャーから生えてきて大量に揃うヒーローたち。ダバダバ走っていく絵面。
見てて頭が疲れてくる。しかしこの程度で疲れているとこの後が更に疲れる。
ダバダバとそこら中で戦うヒーローたちの上に今回はタイトルロゴが表示され、ヒーローたちをわかりやすく提示してくれるのだ。ゲームの自機表示かよ?とか思わされる絵面でクラクラする。
更にヒーローたちが各々の作品を代表するセリフをベラベラ喋る。 …が、めっちゃSEや爆音やBGMや絵面のせいで全然集中できない。チョイスがめちゃくちゃ雑なので全然状況にあってないことをしゃべりまくる。まぁこの程度は戦隊ライダー見てきた人なら慣れてますよね!(いいのかなぁそれで)
あと代役なので(しょうがないけど)全然似てねえ!!!!!!みたいになるあたりもお祭りの御愛嬌である。
ラストの戦闘はさながら爆音のパチンコ屋の演出を大音量で聞かされてるみたいな感じですごかった。なんか久しぶりに映画を見たせいもあってか、こんなに映画見て疲れたのも久しぶりという感じである。
まさに映画館でこそ味わえる体験。家でお祭り系を見ててはこうはならないだろう。皆さんもぜひ映画館で。(なんか8月からコメンタリー聴きながら映画見れるらしいですし。)
今作品のテーマについて
今作で敵であるアスモデウスによって呼び出された石ノ森章太郎少年は、実際にヒーローたちをその目で見せられて、ヒーローを描くことの意義に悩み、そして創作意欲を最終的に見失ってしまう。
同じく「自身が創作をするということは、作中のキャラクターたちを苦しめることになる」という矛盾に悩んでいた飛羽真は、章太郎少年に「君が描くヒーローは正義の側面も悪の側面も持ち合わせる存在であり、人間を描こうとしているのだ」と語る。
悩み、苦しみ、自身の物語に自分自身で結末を選び抜こうとする姿、それこそがヒーローという『人間』の姿なのだ。
この部分は仮面ライダーセイバーにおいても一貫しているテーマといえる。仮面ライダーセイバーは作中で何度も何度もやってる通り、自身の運命を自分自身が決めて新たな未来に進むことが1つのテーマだ。
セイバーが始まった頃からこのへんのテーマとはかみ合わせがいいよなぁとは思っていたが、そこを気持ちよく映画として提示してくれたのは結構個人的にうれしかったなと思う。
そして作中では更に踏み込んでアスモデウスが「お前たちは所詮二次創作であり、テーマの焼き直しをしているに過ぎない。オワコンなのだ!」と叫んでくる。
公式のこういう作品でオワコンって言葉初めて聞いた…みたいになってめちゃくちゃ面白かったが、それに対して「キャラクターや物語が作者の手を離れ、時代を超えて愛されるということ」についても踏み込みアスモデウスの言葉を否定する章太郎少年。
幼稚で無意味なものであれば、ここまで続いてるわけがない!と叫ぶのはちょっとこの戦隊やライダーのシリーズが出してくるやつとしては説得力がありすぎてずるいな~!とすらなる。
同時にこの作品自体も、ある意味かつての春映画のテーマの焼き直し的にも捉えらると感じるが、同時にだからこそ次の世代に新たな形でそういったテーマを伝える役割でもあるのかなぁと思えた。
その瞬間瞬間の物語の力を肯定し、その世代に送り出すのはきっとその瞬間瞬間を生きるコンテンツなのだろうと思う。
そういう意味で戦隊の歴史を肯定するゼンカイジャーと物語の力を肯定し、自分たちの運命を自身で決めていくことをテーマにするセイバーが同じ時代に今出会えた仲間なのは面白いめぐりあわせだったと言えるかもしれない。
あとこんなめちゃくちゃデカイ大役を任された鈴木福君お疲れ様でした。
仮面ライダーリバイス
さて映画が終わったのでトイレに行こう!と思ったらアスモデウスにとどめを刺すために現れた新ライダーリバイスが映画終了後に特別編が始まってびっくりした。
トイレに行きたいんじゃが…… という思いとは裏腹に思ったより長い。
まず印象的だったところだとスタンプのギミック。スタンプって今は割とありふれた概念ではあるが、LINEとかの絵を張るやつも「スタンプ」だったりと思ったより色々あるもんだなぁとか思ったりした。
特別編だと助けたおっさんが悪魔にそそのかされてスタンプで別の悪魔と契約して敵となるという流れだったが、本編もこんな感じで進むとしたらどっかの怪物ばっかり出て事件が起こる治安の悪い街みたいになりそうだね… とか思ったりした。
後相棒キャラであるバイスはどうやら視聴者に対して語り掛けるような動きが多いようだ。そういった要素が本編で活かされるのかはわからないが、どう転がしていくか特徴的な部分となるだろう。
よしリバイス終わったしトイレ……って思ったらそのあともリバイスがなんか出てきたので俺の中でリバイスがトイレを邪魔するやつみたいになりかけていた。
9月にまた会おうぜ!
ところでセイバーとゼンカイについてはもう個別映画はやらないのか、それともゼロワンとかみたいに後でやるのですかね。なんだかんだがんばってコンテンツ全体を盛り上げてる現状がすごく楽しいので、今後もニチアサコンテンツには期待してます。